毎日ヶ原新聞

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生田神社詣で(2018年月イチ日本・2月編;その2)

イメージ 4 ▲神戸三ノ宮駅近くの繁華街の奥に、神功皇后以来の歴史を有する生田神社があるとは。
 
 2018年2月19日、地名「神戸」の由来とは。

 

 関西空港からは、リムジンバスで大阪駅前に出てまずはホテルにチェックイン。この日の飲み会は珍しく神戸の三ノ宮駅前が会場なので、大阪駅からJRで三ノ宮駅へ移動。いやー、神戸へ行くなんていったい何年ぶり?もしかしたら20年ぶりくらいかも?

 

 さて、三ノ宮駅に到着し、東口から駅の北側へ出て、まずはこの日の飲み会会場の場所をチェック。しかしそこは駅から近すぎてすぐに場所がわかってしまったため、時間がけっこう余った。せっかくだからこのへんをぶらぶらしよう。

 

 そんなわけでまずたどり着いたのは「生田神社」。三ノ宮駅前の繁華街の中に突然鮮烈な朱色の鳥居が出現し、え?こんなところに神社?という意外感があります。

 

イメージ 1 ▲生田神社の大鳥居。

 

 しかし、この生田神社、知らなかったのが恥ずかしいぐらい歴史が古く由緒のある神社のようです。

 

 生田神社は、西宮市の廣田神社、神戸市長田区の長田神社とともに、神功皇后以来の歴史を有する神社だそうで、ちょっとアナタ、神功皇后ですよ!

 

 由緒は、「日本書紀」によれば、神功皇后元年(西暦201年)に三韓外征の帰途、難波へ向おうとしていた船が真直に進めなくなったため、武庫の港(今の神戸港)に還って神占を行ったところ、稚日女尊(わかひるめのみこと)が現れ、「吾は活田長峡国に居らむと海上五十狭茅に命じて生田の地に祭らしめ(私は活田(いくた)の長峡国(ながさのくに)に居たいので、海上五十狭茅(うなかみのいそさち)に命じて生田の土地に祀らせてほしい)」との神託があったので、海上五十狭茅という者を神主として祀ったのが始まりらしい。これにより、海上五十狭茅が初代の神社祭主となり、稚日女尊を主祭神として生田神社が今の新神戸駅の北側の「布引山」に開かれますが、洪水で山が崩れそうになったので、799年に現在の場所、いわゆる「生田の森」に移されました。天照大神(あまてらすおおかみ)の別名を大日女(おおひるめ)ということから、主祭神の稚日女尊は、天照大神自身のこととも、幼名であるとも、妹神や御子神(みこがみ)であるとも言われています。

 

イメージ 2 ▲「生田宮」の扁額が掛かる楼門。

 

 ところで、律令制以前の大昔から、特定の神社の祭祀を維持するために、公民の「戸」(世帯みたいなもの)を神社に付属させ、大化の改新以後は、これが「神戸(かんべ、じんこ)」として編成されるようになり、律令法制定後は「神祇令」に「神戸」が規定されるようになり、「神戸」が出す租庸調は全て神社の造営や供神料に充てなければならないなどとされました。生田神社は、現在の神戸市中央区の一帯を社領とし、その一帯に生田神社付属の「神戸」があったことから、「神戸」が地名として呼ばれるようになったのだそうです。「神戸」の地名まで生田神社に由来していたとは!

 

 なお、全国に多く残る「神戸」という地名や姓は、読み方は「かんべ、ごうど、こうべ、じんご」といくつかありますが、いずれも、上述のような神社付属の世帯である「神戸」を由来としています。「神田」も同様だそうです。

 

イメージ 3 ▲楼門をくぐると正面に拝殿があります。

 

イメージ 5 ▲本殿脇には立派な青銅の狛犬。その隣には「平成二七年一月一六日 天皇陛下 幣饌料御下賜」の立て板。

 

イメージ 6 ▲拝殿を覗き込むと中はロの字に建物が囲み、奥に主祭神・稚日女尊を祀る本殿があります。

 

 大鳥居を抜けて進むと楼門があり、これをくぐってさらに進むと拝殿に突き当たります。拝殿の中を覗くと、中は建物が中国の四合院のようにロの字に四方を囲んでおり、いちばん奥に主祭神・稚日女尊を祀る本殿が見えています。

 

 右側には「表筒男命(うわつつのおのみこと)」「中筒男命(なかつつのおのみこと)」「底筒男命(そこつつのおのみこと)」を祀る「住吉神社」と、「応神天皇」を祀る「八幡神社」があり、左側には「大山咋命(おおやまくいのみこと)」を祀る「日吉神社」と、「武御名方命(たけみなかたのみこと)」を祀る「諏訪神社」があり、なかなか錚々たるメンバーが祀られていますね~。

 

 しかし、生田神社のHPを見ると「ご縁結びのいくたさん 神戸の安産祈願・恋愛成就・ご縁結びは生田神社」というキャッチフレーズが掲げられていて、なかなか軽いイメージ(笑)。主祭神の稚日女尊が「機殿(はたどの)」で神服を織られる神様だということで、糸を合わせながら織り成す、人と人との縁を結ぶ、ということから縁結びの神様として崇められるようになっているようです。稚日女尊は中島みゆきみたいな神様なんですね!

 

 本殿の後方には「生田の森」や「生田の池」が広がっているらしいですが、17時閉門ということで時間切れ。楼門から出るや、シャッターが下ろされてしまいました。でも「神戸」という地名の由来になった歴史ある神社を訪れることができて、よかったです!

 

イメージ 7 ▲「生田の森」まで足は伸ばせず、17時に閉門。楼門にはシャッターが下ろされました。