毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

久々中国鉄路、湖南省をゆく(その3;肇慶行きK9067/K9070次列車)

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818215727.jpg ▲出発まで運転士さんは降りてケータイ中。運転士さん、左のズボンの裾がまくれてますぞ。

 2012年6月14日、「韶山3(SS3)」型電気機関車

 毎度のことながら我先に我先にの大混乱の改札を抜けてホームへ突撃!

 ホームで待っているのは吉首始発の18:56発広東省肇慶行きのK9067/K9070次列車。僕が乗るのは13号車ですが、まだ時間があるので、まずは先頭を見に行ってみましょう。

 先頭には牽引機関車はまだ連結されておらず、20mばかり間を置いてその機関車が停車していました。機関車の客車との連結面と、客車側の連結面がまだ向き合ったままになっています。いつ連結するんだろう。運転士さんとおぼしきおじさんは、まだホームでケータイ中。左のズボンの裾が膝までまくれているのは中国式のご愛敬(^^)。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818215721.jpg ▲こちらは客車側の連結面。いつになったら連結するのかな?

 この日K9067/K9070次列車を牽引するのは、「韶山3(SS3)」型電気機関車中国西南部のこのあたりの路線が電化されたのは比較的早く、したがって電気機関車もだいぶ初期の頃から登場しています。

 「韶山3(SS3)」型は中国国鉄の二代目の国産客貨両用電気機関車で、1979年から1993年までには677両(機番0001-0677)を数えるほどになり、中国鉄路の電化発展期に活躍した最もポピュラーな機関車だと言ってよいでしょう。その後1992年から改良型の生産が始まり、4000番台が登場しました。株洲電力機車廠生産の251両(機番4001-4008、4029-4038、4085-4104、5039-5251)、1993年から2006年まで大同機車廠で生産の425両(機番4009-4084、4108-4556)などがあります。外観デザインは、ライトグリーンの角ばった箱型ボディーに白と茶色の帯と窓周りという塗装になっています。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818215717.jpg電気機関車はまだ連結されてませんでした。こちらが客車との連結面。

 この日牽引を担当するのは「韶山3(SS3)」型のSS3-4184号機。1993年以降大同機車廠で製造されたものということになります。

 その機側には「広鉄懐段」の4文字。これはその機関車の所属を示したものですが、広州鉄路集団公司懷化機務段所属であることがわかります。広州鉄路集団公司の前身は広州鉄路局で鉄道部の一組織でしたが、1993年にいわば民営企業化されました。機務段とは日本で言えば機関区のことで機関車の運用を行う部門です。民営企業化された鉄路局はまだ少ないので、多くは「広鉄懐段」の「鉄」のところは「局」になっていて、「●局■段」というふうに所属が表記されるのが普通です。広州鉄路集団になる前の広州鉄路局の時代なら「広局懐段」と記されていたでしょう。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818215737.jpg ▲ライトグリーンに白と茶色の帯のSS3-4184号機がこの日の牽引機。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818215732.jpg ▲広州鉄路集団公司懷化機務段所属であることを示す4文字。

 さて、客車のほうも見てみましょう。

 今や中国鉄路は高速化の一途をたどり全盛期へと向かっています。「CRH(China Railway Highspeed)」など新幹線型の高速鉄道用新型車両が続々と投入され、営業速度300km/h以上もザラになってきました。その一方でどんどん淘汰が進んでいるのが、「緑皮車」と呼ばれる旧型客車。今やこの緑色の分厚い鉄製の客車は徐々にレアものになりつつあります。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818215742.jpg ▲緑色の客車に乗る機会は今や減る一方です。

 ある車両の車番は「硬臥車YW22B 665951」となっています。

 22型客車は、1956年の製造開始以降1992年に生産停止となるまで、実に36年間にわたり、若干のモデルチェンジはあるものの大きく姿を変えることなく26000両以上が製造された、中国鉄路の超ロングセラーモデルです。車種にはYZ(硬座;普通座席車)、RW(軟座;グリーン座席車)、YW(硬臥;開放式3段式寝台車)、RW(軟臥;4人用コンパートメント車)など各種あります。硬臥車のYW22B形はYW22形の車体材質を普通鋼製から腐食しにくい耐候性鋼に変更した車両です。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818215751.jpg ▲22型客車で運転されるK9067/K9070次列車。これは硬臥車(開放式3段寝台車)。

 高速化がどんどん進む今となっては、非空調で最高速度120km/hの車体はもはや時代遅れで、新型客車に追われるように優等運用からはほぼ撤退となり、急速にその勢力を減らしています。北京駅周辺でも確かにこの「緑皮車」を見かける機会は極端に少なくなっているので、ここでこうして実際に乗車する機会を得たことは実にラッキーと言えましょう。

 車側中央の行き先表示サボはボードではなくシールが貼ってあるだけ。サボには「K9076/70/67 K9068/69/68」と記してあり、要するにこの「吉首~肇慶」を走る一往復の列車にしかこの編成は使われておらず、他の列車として使われることはないので、シールを貼ることで問題ないのでしょう。それだけ「緑皮車」の運用が狭まってきているということなのでしょうね。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818215746.jpg ▲K9067/K9070次列車の行き先表示サボ。シール式になってますね。