Let's go to USA!!(その7;「思い立った日が、父の日、母の日になる。」)
2009年5月23日、行橋駅へ。
813系、快適快適(^^)。
この車内で、JR九州の吊り広告を見つけました。ちょうど母の日、父の日のシーズンだったので、「思い立った日が、父の日、母の日になる。」というキャッチコピーの広告でした。
広告は所詮何かの商品宣伝であり、この広告も九州新幹線利用促進のための広告なので、そこに書かれてある内容には冷静であらねばならないのですが、ことこの広告に限っては、まるで自分のことがそのまま書かれているようで、車内で読んでいたら胸がじーんとなってしまい、あやうく涙がこぼれてしまうところでした。この広告の本文をそのまま掲載してみますね。
これがその吊り広告。
思い立った日が、父の日、母の日になる。 帰らなきゃ、とは思っている。 親もいい歳になってきた。 でも、こちらもいい年齢になってきて、 仕事での責任も重くなり、 なかなか休むことができなかった。 現実的には、年一回、 四、五日帰省するのがやっとだった。 もし、これが十年続いても、 単純計算で四、五十日しか会えないことになる。 十年で一緒に過ごす時間が、 たった二ヶ月にも満たないのか……。 通勤電車を待つ間に、そんな計算をしてしまった。 実家は、この九州の南のほうにある。 故郷は、このレールの先にある。 会うたびに、白髪がふえていく父。 無理して帰らなくていいよ、といつも言う母。 が、目に浮かんだ。 これから先、僕は、 人生で、何日帰省するのだろう。 その週末、僕は、つばめで故郷に降り立った。
「親孝行 したいときには 親はなし」という有名な川柳がありますが、僕は、5年前に父親が脳梗塞で倒れて左半身不随になり、それを世話するのが母親一人しかいないという状況になったときに、この川柳じゃだめだと痛感し、どんなに仕事が忙しかろうとなんとかやりくりをつけて、父親が入院している間はできる限り月二回、退院して自宅で療養とリハビリになってからは月一回、週末を利用して東京から青森へ帰省するようにしました。海外に出てからはさすがにそうもいかなくなりましたが、休暇がとれるときはとにかく帰省するようにしています。
僕が顔を見せることで父親の回復が早まるわけでもなく、母親の負担が減るわけでもないのですが、この広告にもあるように、親子なんだから本当はもっと一緒に過ごさなければならないのに、なんとなく離れて暮らして、年に一回ぐらいしか帰省しないのが当たり前になってしまっているのは、いかんのです。親孝行は親がいるうちにしなければ。別に孝行の押し売りをするわけでもないし、帰省することが孝行なのかどうかもわからないけれど、親が生きてる間は、どんなに離れていても、なるべくたくさん一緒に過ごしたいし、顔を見せてやりたい。みんながみんな都合をつけられるわけではないし、会いたくてもどうしても帰省できない人だっているとは思うけれど、自分の仕事なんかにかまけて親を思う気持ちを忘れてはいけないんじゃないかなあと思うのです。
この広告はJR九州のものだけれど、九州だけの思いではありません。日本のどんなところにいても、故郷は目の前のレールの先にあるはず。よし、また帰ろう、青森へ。この吊り広告を眺めながら、決心みたいなものが自分の中で生まれました。
というわけで、10:21、行橋到着です。
立派な高架の行橋駅。
▲たった7分で行橋到着。2537Mは1番線に入って7分停車し「ソニック」に追い抜かれ待ち。