毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

ハノイ・フラッグタワー(Long Summer Vacation;その50)

f:id:mainichigaharu:20190825233239j:plain▲もとは監視塔だった「ハノイ・フラッグタワー」、高さ33.4m。

 

 2018年7月22日、昼休み中。

 1802年に阮(グェン)朝が成立すると、都がハノイからフエに移り、タンロン城内の重要な建築物は分解されてフエへ移築されました。なので、タンロン城に今もそのまま残っているのは「端門」と「龍の階段」だけだそうです。

 「龍の階段」というのは、「端門」を入ってその奥にかつてあった皇帝とその家族の生活の場であった「敬天殿」へ上る石の階段の袖石が龍の彫刻になっているものです。僕は今回はこれまでは参観しませんでしたが、後黎朝第5代皇帝レ・タイントン(Lê Thánh Tông;黎聖宗)の時代の1467年に建造され、現在は4頭の龍が残っています。ただ、1428年の黎朝(後黎朝)の成立に伴って立てられた「敬天殿」そのものは残っておらず、今「龍の階段」の上にある建物はフランス植民地時代にフランスが建てたものだそうです。

  

f:id:mainichigaharu:20190825233300j:plain▲「端門」の門楼を東側から眺めたところ。

 

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▲これは南西方向から見た写真。屋根の反りが印象的ね。

 「端門」の両脇には門楼に上がる階段があるので、上がってみました。

 「端門」は、幅46.5m、奥行き26.5m、高さ6m。石積みの門の部分は積んだ石がむき出して、いかにも15世紀の遺跡という感じがしますが、その上に載っている門楼は、屋根の反り具合や隅棟に載る龍などは歴史を感じさせますが、壁の色は、ハノイ市内の公的機関の建物が統一的に塗られているのと同じクリーム色に塗られていて、しかも最近塗り直された感じもあり、きれいはきれいなんですが、15世紀からずっとこの色だったのではないんだろうね、たぶん。と思ったら、「端門」の説明パネルにちゃんと書いてありました。このクリーム色の建物はのちの時代に増設されたものだそうです。

 門楼の中にも入ることはできますが、中には何もありません。ふと、門楼の中からアーチ型の出入口越しに向こうを見遣ると、真正面に党が見え、そのてっぺんで旗がはためいているのが見えるではないですか。ズームしてみると、塔頂部は六角形をしていて6方向に窓が開き、まるで監視塔のよう。その上ではためいているのは、ベトナムの国旗です。この塔、なんでしょう?

 

f:id:mainichigaharu:20190825233317j:plain▲「端門」の上に載るクリーム色の建物の中から正面を見遣ると、向こうに塔が。 

 

f:id:mainichigaharu:20190825233248j:plain▲その塔にズーム!なんか監視塔みたいで、怖い感じも……

 タンロン遺跡の南側に「軍事博物館」があり、この塔はその敷地内に建っています。グェン朝の初代皇帝ザーロン帝(Gia Long;嘉隆)の時の1812年に、タンロン城(1802年にグェン朝が興ると首都はフエへ移ったので、そのあとはハノイ城と呼ばれるようになります。)内に7年の年月をかけて建てられたこの塔は、当時はやっぱり監視塔として使われていたそうで、現在は「ハノイ・フラッグタワー(Cột cờ Hà NộiまたはKỳ Đài Hà Nội)」と呼ばれています。全体の高さは33.4mで、正方形の土台部分からの塔だけの高さは18.2mです。1940年代には日本軍がバクニン省と連絡を取るために電報局として使い、戦後は、軍事博物館として1959年12月22日に公開されるまでは、この敷地はフランス軍が兵舎として使っていたそうです。

 

f:id:mainichigaharu:20190825233327j:plain▲タンロン遺跡の出口にある建物内にはハノイの古い街並みが再現されてました。

 芝生の広場をのんびりと戻り、出口になっている建物に入ると、その中にはハノイの古い街並みが再現されていました。ハノイの旧市街地には今も実物がたくさん残ってそうな気もしますが……

 ここを通って外に出て、軍事博物館へまわって「フラッグタワー」に近づいてみようと思いましたが、軍事博物館は11時30分から13時までは昼休み閉館で、残念ながら中に入れませんでした。

 軍事博物館の入口は「ディエンビエンフー通り(Đường Điện Biên Phủ)」に面していて、道向こうにあるのは青々と木々が茂った「レーニン公園」で、レーニン像が立っているのが見えます。

 「ディエンビエンフー」と言えば思い出すのが「ディエンビエンフーの戦い」。その名のついた道路標識を眺めながら、ラオスとの国境の山に囲まれた盆地の町・ディエンビエンフーで1954年に起きた、ベトナム軍がフランス軍を奇跡的に打ち破った第一次インドシナ戦争中最大のこの戦闘に思いをはせるのでした。

f:id:mainichigaharu:20190825233337j:plain▲昼休み閉館で軍事博物館の中には入れなかったので、入口のところから撮ってみた。

 

f:id:mainichigaharu:20190825233332j:plain▲タンロン遺跡の南を走る「ディエンビエンフー通り」。歴史ある地名ですね。