毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

ヴァンフックのシルク村(Long Summer Vacation;その46)

f:id:mainichigaharu:20190825233009j:plain▲一瞬見ただけではわからないと思いますが、ここはシルクの機織り場なのだ。

 

 2018年7月21日、暗号みたい。

 

 食後のコーヒーも済んで、次にハンさんがタクシーで連れて行ってくれたのは、ハノイ駅から見ると南西方向に10kmほど行ったところにあるハドン区(Quận Hà Đông)のヴァンフック坊(Phường Vạn Phúc)(「坊」は「区」の下の行政区画。)にある、ガイドブックでは必ず紹介されている「ヴァンフック・シルク村」(僕はハノイのガイドブックを見たことがないので知らなかったけど。)。

 

 高駢(Gao Pian;こうべん)という9世紀中頃の中国の唐末の軍人は、安南都護、静海軍節度使等に就き、大羅城を修築して今のハノイの基礎を打ち立てたと言われていますが、その高駢が、おそらく安南都護時代に娶った当時のベトナムの王族の女性(「Ả Lã Thị Nương」という名前だったらしい。)とこのヴァンフック村(当時はヴァンバオ村(Vạn Bảo)という村だったらしい。)を訪れた際に、桑を育て絹を織ることを教えたのが、シルク村としての始まりだそうで、1200年以上の歴史があるのでした。

 

f:id:mainichigaharu:20190825233015j:plain▲絹製品のショップが並ぶヴァンフックのシルク村。左端が「TRIỆU VĂN MÃO」。

 

 大通りのヴァンフック通り(Đường Vạn Phúc)に面して、中国の古城で見かける牌楼のような門があるのが見えたら、そこがシルク村への入り口。門の表には「Làng Vạn Phúc」、裏には漢字で「萬福攸同」という文字が掲げられています。ここから先が「ルア通り(Phố Lụa)」という道で、「Lụa」は「絹」という意味なので、まさに「絹小路」といった趣でしょうか、道の両側には絹製品のショップがずらりと並ぶようになります。

 

 奥の方には林に囲まれたお寺などもあり、のんびりした雰囲気。ぶらりと散策しながら、ハンさんが連れて行ってくれたのは、「TRIỆU VĂN MÃO(チエウ・ヴァン・マオ)」というシルクショップ。店内に入ると、色とりどりの生地や衣類、小物などが所狭しと棚を飾っています。ハンさんに導かれるままに店内の奥の方へ進んで行くと、隣の棟に抜ける出入り口があり、そちらの方へ進んで行くと、なんとそこは、シルクの機織り場ではありませんか!

 

f:id:mainichigaharu:20190825232905j:plain▲機織り機の音が折り重なるように響き渡るシルク工房。

 

 2017年6月に放送された国際放送「ベトナムの声放送局」の番組などによれば、1200年以上の歴史があるヴァンフック村の絹生産ですが、時代の流れの中でシルクの人気がなくなり、織物産業自体がなくなるのではという危機に直面したことも。それでも村の伝統を守り続けようとがんばったのが、代々絹工房を営んできたチェウ・ヴァン・マオさんの工房。そう、店名の「TRIỆU VĂN MÃO」は店の主人の名前なんですね。

 

 チエウ・ヴァン・マオさんは、伝統的なシルク柄を集める収集家としても有名だそうで、お年寄りの女性を訪ねたり寺院倉庫をあさったり、どこに残っているかわからない昔のシルク布を根気よく集め、忘れ去られたシルク布の文様を25種類も復元させたのだとか。こんな努力もあって、今では全村で164世帯が絹織りに従事し、シルクショップは100店を数えるそうです。

 

f:id:mainichigaharu:20190825232942j:plain▲こちらは「TRIỆU VĂN MÃO」の工房の方の入り口。

 

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▲両側の店舗にはさまれた奥に工房の建物があります。

 

f:id:mainichigaharu:20190825233005j:plain▲工房の建物の外壁には、展示用だと思いますが、繭棚が。

 

  工房の方の建物は、草木が生い茂り、植物が植えられた大鉢も多く置かれた前庭があり、シルクショップの並ぶ通りからも工房に出入りすることができ、こちらの方にも「TRIỆU VĂN MÃO」の看板がかかっています。

 

 工房の入り口の周りは細い竹で装飾され、展示用だと思いますが、繭棚にずらりと繭が並んでいるのも見られます。

 

 そして、工房の中に入ると、おお!なんとレトロな雰囲気!コンクリート打ちっ放しの床、剥き出しになった梁や束、桁など屋根を支える鉄骨類、ほとんど倉庫のような薄暗い屋内に、木の柱で枠を組んで接地した機織り機が2列に向かい合って並んでいます。ここの機織り機は電動で、我々がおじゃましたときは向かい合った2台が稼働していて、ゴトンガチャンという音が鳴り響いています。奥の方のロールから手前のロールへ無数に縦糸が渡されていて、縦糸と縦糸の間を、エアホッケーのパックのように横糸の飛び杼が高速で往復しています。おばちゃんが一人、2台の機織り機の間を行ったり来たりして、横糸が切れそうになると機械を止めて横糸を補充します。 

 

 それにしてもずいぶん古い機会を使い続けているものです。聞けば、木材を多用しない最先端の「メカ」になってしまうと却って織物を傷つけやすくなるので、昔から使い続けてきたものを今も使い続けているのだそうな。レトロな機械の方が織りにゆとりがあるということでしょうか。

 f:id:mainichigaharu:20190825232920j:plain▲機織り機を横から見たところ。左から縦糸が送られてきて、右側で飛び杼が高速往復してます。

 

f:id:mainichigaharu:20190825232915j:plain▲おばさんが一人で2台の機織り機を扱い、縦糸を補充したりしています。

 

f:id:mainichigaharu:20190825232911j:plain▲飛び杼が往復して横糸が渡されると、どんどん布になって織り上がっていきます。

 

 飛び杼が往復する箇所のちょっと手前、前後のロールのちょうど真ん中あたりに、上から無数の糸が下りています。なんでしょう、これは。

 

 上から下りてきた無数の糸が扇のように広がって機織り機中央の枠の中に入り、その1本1本の先には長い金属の針が結びつけられていて、ガタンゴトンという機織りのリズムに合わせて、まるでピアノのハンマーが弦を叩くように、上がったり下がったりしています。

 

 その無数の糸の先、機織り機の天井の方を見ると、なにやらコンベヤーのベルトのような、あるいは蛇腹折りの経本を広げたようなのが、ぶらりぶらりと据え付けてあるではありませんか。よく見ると、このベルトだか蛇腹折りの経本だかは、竹の板でできているように見え、細かな穴が無数に穿ってあり、まるでオルゴールのディスクのようでもあり、何かの暗号のようでもあります。

 

 あっ、わかった。これは、織り布に模様を入れるための仕組みなんだ!

 

 この種の機織り機は「ジャカード織機」と呼ばれ、パンチカード(紋紙)の穴の有無に従って上下する金属針とシャフトを連動させてシャフトを個別に上下させ、穴によって指示された経糸だけを引き上げて横糸を通すことで、カードのパターン通りの模様を織ることができるのだそうな。

 

 ガタンゴトンという音とともにパンチカードが少しずつ進み、飛び杼が高速で往復し、縦糸と横糸が交互に組み合わさって、中島みゆきの歌のように少しずつ布になっていく様子は、いくら見ていても飽きません。この機織りの妙は、実におもしろい。織りなす布はいつか誰かを暖めうるかもしれない、うむ、そうかもね!それを人は仕合わせと呼びます~♪

 

f:id:mainichigaharu:20190825232924j:plain▲機織り機の上の方には、竹の板でできたパンチカードが据え付けられています。

 

f:id:mainichigaharu:20190825232930j:plain▲無数に穴の開いたパンチカードが送り込まれて、模様ができていくんですねー。