毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

「出雲」に乗って初詣①(出発)

 2005年1月2日、東京駅。

 年末年始の帰省から「つがる22号」と「はやて22号」を乗り継いで東京へ帰ってきた僕は、上野駅でいったん降り、中央改札を出て右側にあるスーパー「ザ・ガーデン自由が丘・上野店」で弁当やらつまみやらを、ワインは改札内石川啄木歌碑向かいの「WINE&DINE上野店」で買い揃え、それから東京駅へ行き、そのまま10番線ホームへ上がりました。まっすぐ家には帰らずに、これからさらに列車に乗って、地元での初詣に続く第二弾初詣として、出雲大社へ行くのです。(東京発なら大丸の地下でなんでも買い揃えられますが、僕にはやはり上野駅のほうがなじみがあるし、この二店は「あけぼの」に乗るときの定番なんです。)

 出雲まで僕を運んでくれるのは、7レ寝台特急「出雲」。出雲大社など山陰方面へはそれまで二度ほど行ったことがありましたが、一度も「出雲」を利用したことがなく、(この時点では廃止の噂はまだなかったものの、)いつ廃止になってしまうかもわからない「出雲」が健在のうちに乗っておこうと、今回東京から利用することにしたのです。

 まだUターンラッシュもピークにはなっていない1月2日午後8時過ぎの東京駅は、正月休み中ということもあって東京駅らしからぬ閑散ぶり。ホームに上がると、10番線には21:10発出雲市行き「出雲」、9番線には22:00発出雲市/松山行き「サンライズ出雲/瀬戸」の表示が並んでいて、さあ遠くへ行くぞ、という気持ちが高まります(と言っても僕はついさっき遠く(青森)からやってきたばかりなのですが)。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819024300.jpg 入線を待つ東京駅9・10番ホーム。

 やがて20:59、後続の急行「銀河」の牽引を受け持つEF65-1108に牽かれて、「出雲」がしずしずと入線してきました。所定位置に停車するとEF65-1108が切り離されて、あわただしい出発準備に入ります。この日は電源車も合わせて12両編成。年末年始輸送ですから9~11号車の米子止まりもしっかりついています。最後尾の写真を撮ってから、今夜の宿になる自分の車輌に「さあ、お世話になりますよ」と声をかけながら乗り込みました。東京駅のイタイところは、先頭に立つ機関車の「顔」を写真に収められないところ。ヘッドマークが見たいなあ……

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819024303.jpg 「出雲」入線。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819024309.jpg 後ろ三両は米子止まり。

 京都で牽引機関車が変わってしまうので、京都では起きる自信のまったくない僕は(だって午前3時台ですよ)、熱海での2分停車に賭けることに。写真はうまくは撮れなかったけれど、赤い「出雲」のヘッドマークを誇らしげに掲げたEF65-1110をしっかり目に焼き付けることができました。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819024313.jpg 熱海駅に停車中の「出雲」。

 熱海を出た「出雲」は西へと驀進を続けます。この日の車内は、帰省のUターンとは逆向きの下りということもあってか、おおむね下段が埋まり、上段にもちらほらという感じでした。僕は2号車B寝台の下段でしたが、上段にはこれから米子まで帰省するという大学生が乗っていました。
 いつものように列車の揺れに身を任せながらワインのフルボトルを一本空けて、浜松あたりでダウン。思えば今日は青森からずっと移動を続けているのです。眠りに落ちるまでにそう長い時間はかかりませんでした。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819024319.jpg 寝台券たち。