毎日ヶ原新聞

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機雷敷設潜水艦「EML Lembit」(Long Summer Vacation;その70)

f:id:mainichigaharu:20200209230636j:plain▲エストニア海軍の機雷敷設潜水艦「EML Lembit」の艦橋。ホンモノです。

 

2018年7月28日、カレフ級。

 

 エストニア海洋博物館「Lennusadam」の屋内展示室の展示の目玉は、なんと言っても、エストニア海軍の機雷敷設潜水艦「EML Lembit」。1979年に退役したエストニア海軍所属の全長59.5mの潜水艦が展示場の端から端までを占めるように堂々と展示されています。ばりばりのホンモノです。(「EML」は国別の艦船接頭辞で、エストニアは「Estonian Navy Ship」のエストニア語「Eesti Mereväe Laev」の頭文字をとっています。)

 

 ばりばりホンモノの潜水艦がそのまま展示されているという点では、広島県呉市「海上自衛隊呉史料館(てつのくじら館)」に展示されている潜水艦「あきしお」がありますね。「あきしお」は全長76mなので、「Lembit」より大きいです。「あきしお」は、船体側面に穴が2カ所あけられ、資料館の3階から船体に入り、機械室前側のトイレや居住区のある区画から、前方に位置する発令所を回って外部に出る順路で艦内が見学できるそうです。しかし、僕は呉港のフェリーのりばと呉駅の間を徒歩で移動するときに「あきしお」を遠目に見たことがあるだけなので、こうしてホンモノの潜水艦を間近に見るだけでなく中に入ってみることもできるなんて、かなりワクワクします。「あきしお」と違って、「Lembit」には見学用にあとから穴を開けたりはしてなくて、よりリアルに見学が楽しめそうです。

  f:id:mainichigaharu:20200209230643j:plain▲艦橋前面にはエストニア海軍のエンブレムでしょうか。

 第二次世界大戦時に、エストニア海軍が自国の沿岸防御のために機雷敷設潜水艦2隻を英国の「ヴィッカース・アームストロング(Vickers and Armstrongs Ltd.)」社の「バロー・イン・ファーネス造船所(Barrow-in-Furness)」に建造させました。「カレフ級潜水艦(Kalev-klassi allveelaevad;Kalev-class submarine)」と呼ばれ、1隻は「カレフ(Kalev)」、もう1隻は「レンビット(Lembit)」と名付けられました。どちらも進水は1936年7月7日に進水し、1937年3月に「カレフ」が、同年4月に「レンビット」が就役しています。どちらも「the pride of the Estonian Navy(エストニア海軍の誇り)」であり、エストニアの海洋史にあって建造された潜水艦は後にも先にもこの2艦だけです。

 

  「カレフ」の名は、ちょっと前の記事にも登場しましたが、エストニアの古代神話で、鷲の背に乗ってフィンランド湾を渡り、エストニアの王となった伝説の巨人カレフのことですね。「レンビット」の方は、これも前の記事でちょっと触れた、1219年に北方十字軍に参加したデンマーク王・ヴァルデマー2世がエストニアに上陸するよりも前の13世紀初頭にエストニアに侵攻したリヴォニア帯剣騎士団に、エストニア人の連合軍を組織して対抗した古エストニア・サカラの首長「レンピトゥ(Lembitu)」の名からきています。レンピトゥは、リヴォニア十字軍以前のエストニアの支配者として文献により唯一その生涯が知られている人物だそうです。

  f:id:mainichigaharu:20200209230652j:plain▲艦内の隔壁に設けられた扉。向こうは発令所かな?

  そしてこの「EML Lembit」の艦内には、艦橋前甲板にあるハッチから入っていくことができます。潜水艦の中に入るのなんて初めてだ。ちょっとドキドキ。

 潜水艦に関する僕の基本的な知識は、ほぼかわぐちかいじの漫画「沈黙の艦隊」からのみ得られているわけですが(笑)、海江田四郎艦長率いる海上自衛隊のディーゼル潜水艦「やまなみ」と日本初の原子力潜水艦「シーバット」を思い出しながら、艦内を見てみよう(と言えるほど詳しく知ってるわけでもないが。)。あっ、映画「Uボート」でもだいぶ学んだな、そう言えば(笑)。

 ハッチにかかるハシゴを下りて、艦橋の真下あたりにあるのは発令所かな。発令所は潜水艦の中枢で、操舵・潜航関連の機器などがここに集中しています。いろんなアナログな機器に囲まれて、海図台もあります。この海図台を囲んで、様々な作戦なんかが練られたのでしょうね。アナログな機器と言えば、映画でもよく見かけた「エンジン・テレグラフ(速力通信機;船橋から機関室へエンジンの出力調整・停止の指示を伝えるための装置)」もありますね~。発令所には潜望鏡もありますし、艦橋へ上るハシゴもあります。艦橋最上部のハッチは開いていますが、途中に網がはめられて、艦橋部分までは上がれなくなっているのがちょっと残念。

 

f:id:mainichigaharu:20200209230656j:plain▲発令所の海図台。アナログな機器たちに囲まれています。

 

f:id:mainichigaharu:20200209230700j:plain▲左が「エンジン・テレグラフ」。文字は全部ロシア語ですね。

 

f:id:mainichigaharu:20200209230704j:plain▲艦橋を上るハシゴ。

 

 エストニア海軍の潜水艦として就役する「Lembit」と「Kalev」は、1940年にエストニアがソ連によって占領されると、ソ連軍旗下に入れられ、バルチック艦隊所属艦として任務に就くことになりました。このうち、「Kalev」の方は1941年にバルト海で行方不明となってしまいましたが、「Lembit」は大戦をくぐり抜け、1946年には「U-1」、1949年に「S-85」、1956年に「STZh-24」、同年12月に「UTS-29」と改名を繰り返しながら任務を続け、1979年に除籍となって 1979年8月29日、曳航された「Lembit」は78年ぶりにエストニアに戻ってくることができました。時間をかけたオーバーホールが必要でしたが、2011年に「Lennusadam」での展示のために陸に上がるまで、現役同様に海上に浮かんでいることができる世界最古の潜水艦だったそうです。75年間にわたる長い運用を経ても保存状態は非常によく、1930年代の潜水艦建造技術を興味深く見ることができます。


 さて、艦首方向に進んでいくと、潜水艦の真骨頂、魚雷発射室に突き当たります。「Lembit」は、船首に魚雷発射管4門を備え、533mm魚雷8本を搭載できます。「Lembit」は基本的には機雷敷設艦ですが、1942年にはナチス・ドイツの商船「Finnland」(5,281トン)を、1944年には同じくナチス・ドイツの商船「Hilma Lau」(2,414トン)を魚雷攻撃で撃沈したという記録も残っているようです。

 

 そして、発令所以上に重要とも言える潜水艦の耳「ソナー室」。窓のない潜水艦にとって、すべてはレーダーと「音」が頼り。敵艦の位置、魚雷の飛んでくる方向、海底の地形把握など、わずかの聞き漏らしも生命に関わるカナメ中のカナメの役割を担っていたのがソナーマン(水測員)。まさに潜航した潜水艦にとっての全神経、全感覚であり、ソナー室でヘッドホンを装着し、ほんのわずかの音も聞き漏らすまいとソナー室に籠もっていたのでしょうね。 

 

f:id:mainichigaharu:20200209230647j:plain▲533mm魚雷発射管が4門設置された魚雷発射室。左2門に魚雷が装填されてますね。 

 

f:id:mainichigaharu:20200209230708j:plain▲ソナー室。ソナーマンが全神経を集中して艦外の音に耳をそばだてていたのでしょう。

 

f:id:mainichigaharu:20200209230712j:plain▲「Lembit」の艦尾。スクリューは2軸です。


 こんな感じで、とても楽しく興味深い博物館でした!

 巨大な展示室から出てくると、ミュージアム・ショップがあり、いろんなグッズがたくさんあって、このショップだけでも楽しいです。

 我々は気づかなかったのですが、「Kohvik MARU」というカフェもあるみたいです。「カフェ・マル」という意味で、「MARU」というのがどういう意味なのかわからないですが、日本では船の名前につく「丸」がエストニアの海洋博物館でも使われているような気がして、なんかつながりがあるのかなと思えて、ちょっとうれしくなりました。

 「Lennusadam」を出て、またぶらぶらと歩いて大通りに出て、来たときと同じように73番のバスに乗って旧市街地の方へ引き返します。バス停でバスを待つのも、吹き抜ける風が涼しくて、とても気持ちがいいです。

 

f:id:mainichigaharu:20200209230726j:plain▲73番のバスのLennusadamバス停。反対方向へ行くバスが走っていきました。