毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

「彗星」、関サバ、それから臼杵③(臼杵満月寺)

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818110933.jpg ▲石仏の眼前に広がる広場。この向こう、橋を渡った先が満月寺。


 2005年4月30日、大分臼杵。

 前回臼杵の石仏に来たのは04年の11月、しかも天気のあまりすぐれない日の夕方近くだったのでどうも冬枯れた感じばかりでしたが、今回はすでに濃さを増した青々とした森に囲まれて、石仏さまたちの印象もずいぶんと違います。すっくと伸びた杉林の中を縫うように上る桟道を歩き、ひとつひとつ石仏さまたちを見て歩きます。

イメージ 2


https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818110937.jpg 迎えてくださった石仏さまたち。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818110942.jpg

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818110945.jpg

 そして今回は、広い広場をはさんで石仏さまたちと向かい合う満月寺(まんがつじ)へもお参りに行ってきました。伝説によれば真名野長者の発願により三重町内山蓮城寺を開いた百済の僧・蓮城法師によって創建されたということです。創建年代は不詳ですが、鎌倉中期のことではないかと思われます。

 入り口で寺を守る仁王像は、鼻が欠けている上に半ば土に埋もれています。鼻が欠けているのは、その昔この地区で疫病が流行ったとき「顔面を削って服用すれば病気が治る」との噂が立ったため付近の住民が競って仁王像の顔面を削り落としたからとの言い伝えがあり、半分埋もれているのは深田川のたび重なる氾濫により埋没したからだと言われているそうです。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818110950.jpg ▲膝下が埋まった満月寺の仁王像。

 ほとんど初夏の陽気に、満月寺境内ではツツジも藤も満開で、訪れる者の目を楽しませていました。
 満月寺の裏手に堂々と立つのは宝筺印(ほうきょういん)塔。通称日吉塔と呼ばれ、高さ4.2m、全体は基礎、塔身、屋根、相輪の四層からなっていて、そこに丸型の穴があいており、おそらく祭りの道具や願文、写経などが納められていたようです。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818110954.jpg 満開の満月寺のツツジ。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818110958.jpg ちょっと変わった色のツツジも。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818111003.jpg 棚になっていない藤も満開。

イメージ 11


https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818111007.jpg 宝筺印塔。

 石仏、満月寺と汗ばむ陽気の中をたっぷり歩いたあとは、臼杵三大名園の一つ春光園を眺めながらの贅沢な昼食といきましょう。関サバがきっと僕を待ってくれているハズ(^-^)。さあ、レッツ・セキサバ!