毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

【社説】「あさかぜ」に乗った日

イメージ 7 ▲名古屋駅にて。

 2005年2月25日、金曜日。

 ちょうどこの一週間前に、2月いっぱいで姿を消す寝台特急「さくら」に乗って長崎まで行ってきました。しかし、この2月で姿を消す青い星は「さくら」だけではありませんでした。

 そうです。寝台特急「あさかぜ」。1956年に登場した日本初の「夜行寝台特急」に付された愛称である「あさかぜ」がなくなるというのです。

 これはコマッタ。記憶をたぐり寄せれば、「あさかぜ」には確か学生時代に大阪から東京へ帰ってくるのに一度乗ったことがあるようなオボエがないではないが、どうもほとんど印象がない。やっぱり最後に一度乗りたいなあ、乗ってみたいなあ、「あさかぜ」。

 というわけで、「さくら」に乗った一週間後に「あさかぜ」に乗ることにしました。

 しかし、二週続けて金曜日に休みを取るわけにもいかず、どうしたものかなあと悩んでいるところに、佐世保出張というのが降ってわきました。これぞ天の恵みか?出張自体は2月24日と25日の二日間で、25日の夕方には東京へ戻ってこられる日程。東京での通常勤務だと毎日夜中までの残業は免れ得ませんが、出張から帰ってきた時までさらに出勤しろとはさすがに言われないので、25日に東京に戻ってきたあとはフリーになります。

 よし、これだ!25日の夕方に長崎から東京へ戻ってきたらそのまま「あさかぜ」に乗ってしまおう!

 しかし、仕事の終わる時間から考えて、長崎空港で間に合って乗れる羽田行きのフライトの羽田到着はなんと19:00。「あさかぜ」の東京出発時刻ではないか。でもこれより早いフライトにはどうやっても間に合わない…… ここは泣く泣く始発駅東京から乗るのはあきらめて、新幹線でどこか追いつけるところから乗ることで妥協するしかなさそうです。

 というわけで、長崎から乗ったのはJAL1852便。定刻通り19:00に羽田に着いて、大急ぎで東京駅へダッシュ!あ、背広のままだ。まあいいや、「あさかぜ」の中で着替えよう。
 東京駅から20:06発の「ひかり389号」に乗ります。ひかり号なんて久しぶりー。
 そしてやってきたのは静岡駅。21:08到着。静岡から、「あさかぜ」の旅が始まるのです。

イメージ 1 ▲まだJASカラーのJAL1852便。

イメージ 2 ▲静岡駅にまもなく「あさかぜ」が。

 30分ほど時間があるので改札を出て静岡駅の構内をうろうろしますが、時間が時間だけに駅弁と言ってもたいしたものは残っておらず、富士山の絵柄が入った缶ビールなんぞを求めて在来線ホームへ上がります。時間は21:30、もうすぐ「あさかぜ」が到着します。廃止まであと3日となり、ホームには大勢のファンが集まっていました。僕も先頭の機関車が見たくてホームの端っこのほうへふらふらと行ったら、立派な三脚を立てたかたがたに「そこに立つな!」「俺たちはずっと前から待ってるんだ!」などと怒鳴られてしまいました(T_T)。あんたたちがどれだけ待ったかなんて知ったこっちゃないし、こっちはこれから「あさかぜ」に乗るんだから1号車から乗るぐらいいいでしょうと思ったんですけど、きっと素人の僕が何かルールを破るようなことをしたのでしょう、なんだか気圧されてしまって、つい「あ、スミマセン」と……。もちろん撮り鉄のみなさんがみんなああだとは全然思っていませんけれど、何も知らずにただ「あさかぜ」が見たくてやってきている子どもたちとかが気の毒です。「あさかぜ」は撮り鉄のみなさんだけのものではないはずなのに……とちょっと思ってしまいました(撮影が趣味のかた、どうぞお気を悪くなさらずに)。

 そんなこともあり、「あさかぜ」がEF66-48機に牽かれてホームに入ってきた時も、「わあ、来た!」という感激の思いが少し打ち消されてしまっていて、とにかく撮影のじゃまにならないように早く乗らなくちゃという焦りが先に立っちゃっていました。

イメージ 3 ▲寝台特急「あさかぜ」、とにかく静岡に入線。

 先頭の1号車から乗って、自分の寝台がある9号車まで何両も車両を突っ切っていきます。その間に「あさかぜ」は静岡駅を静かに出発しました。途中通った4号車はラウンジカーでしたが、大人数のグループで占拠されており、お祭り騒ぎのような宴のまっさいちゅうで、通り抜けるのも一苦労でした。そこは公共スペースのはずなのですが、廃止まであと三日になって、まるでどんちゃん騒ぎをしても全然かまわないんだということになっているかのようでした。なんだかな……という気持ちにも一瞬なりかけましたが、自分も廃止だと聞いて初めて乗りにきた一見さんに過ぎないのだし、こうして賑やかに見送ってもらえて「あさかぜ」も喜んでいるだろうと自分に言い聞かせ、自分の寝台まで行きました。

 「あさかぜ」は浜松に停車したあと、23:43に名古屋到着。深夜帯だというのに、ホームは多くのファンでにぎやかです。この日の「あさかぜ」は下関持ちの24系25形をカニと合わせて14両の堂々のフル編成。名古屋を出れば翌朝の岡山まで停車駅はありません。

イメージ 4 ▲名古屋でも大勢ファンが。マナーなんとかしてほしい。

イメージ 5 ▲シンプルでシャープなトレインマーク。

イメージ 6 ▲JR西日本仕様の白抜きの文字が際立ちます。

 自分の寝台に落ち着いてみれば、力持ちのEF66に牽かれて「あさかぜ」はいつもと同じ道のりをいつもと同じように東海道本線を疾走していることが伝わってきます。B寝台のテーブルに駅弁と缶ビールを広げ、ブラインドを上げて過ぎゆく明かりを眺めながら、その力強い走りに体をゆだねる。それはいつもの寝台列車の風情です。団体ツアーも同じ車両にいくつか乗っているようだけれど、みんな静かに、去りゆく英雄「あさかぜ」との別れを惜しみつつ楽しんでいるようです。

 一夜が明けて、「あさかぜ」は宇部到着。新山口で団体ツアーなどずいぶん多くの乗客が降りてしまい、車内はずいぶん身軽になっていました。宇部を出れば、約40分で終点下関です。

イメージ 8
        ▲降りたくないよ……

 09:55、「あさかぜ」はいつもと同じように、定刻09:55に終点下関に到着しました。乗客やホームで待ち受けていたファンなどは到着した「あさかぜ」を取り囲み、ホームはにわかに活気づいていました。
 しかし、僕のアルバムには、下関のホームに横たわる「あさかぜ」の写真は一枚もありません。僕は「あさかぜ」を降りるなり、出口へ向かう階段をそそくさと下り、改札の外へ出てしまったのです。

 寝台特急「あさかぜ」。下り東京発下関行きの走行距離1,117.6㎞、所要時間14時間55分。完乗しました。廃止になる前に乗れてよかった、と思いました。
 でも、「あさかぜ」という列車は僕にとって今まで縁もゆかりもなかった列車です。よく利用したなじみの列車ではないし、今まで見たことも乗ったこともないものならそのまま知らずに消えてしまったって少しも困ることはないはずです。
 いや、こんなことを書くとお怒りになるかたもいらっしゃるかもしれません。いいじゃないか、青い一番星「あさかぜ」、日本の高速輸送の先駆け、それをみんなで見送ってやって何が悪い。そのとおりです。僕も異存はありません。だから僕だって乗りに行ったのですし。
 しかしながら、到着した終点下関のホームに降りたとき、その時に限って言えば、廃止と聞いただけで突然「あさかぜ」を昔から知っていたかのようにこうしてやってきたのがなんだか何十年もの間一途に走り続けてきた「あさかぜ」に失礼な気がして、ホームに居残ることがためらわれたのです。

 だから、下関駅のホームと「あさかぜ」、一枚も写真がありません。

イメージ 9 ▲2月12日東京駅で別途撮影。

イメージ 10 ▲もうヘッドマークを掲げて定期で走ってる電気機関車なんてどこにもいない。

イメージ 11 ▲「あさかぜ/東京」も今は昔。