毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

興城古城(ANA機内誌でも特集掲載!;その5)

イメージ 3 ▲「興城古城」の中央に鎮座するのは「鐘鼓楼」。高さ17.2m。北門から見た様子。

 2017年6月10日、酒の量り売り。

 東門(春和門)まで歩いてきて城内を見れば、まっすぐ伸びている通りは「春和街」。ここも石畳で、通りの両脇はやはり明代風の建物になっていてやはり観光通りですが、車の通行はでき、日用品のお店もちらほらとある様子。まっすぐ正面には「鐘鼓楼」があり、その手前右の緑は、「蓟遼督師府」。北方における明朝の最高の軍政機関で、1550年に設置され、1622年からここ「寧遠城」に置かれるようになりました。その跡地の中には現在は「袁崇煥記念堂」や「明清遼東戦史館」などもあります。

 「平房」という民家の狭い庭に洗濯物が干してあるのなんかを眺めながら更に歩を進め、北門に到達。北門は「威遠門」といいます。北門から中央の「鐘鼓楼」までは「威遠街」という通りがまっすぐのびています。

イメージ 1 ▲東門から「鐘鼓楼」へ向かう通り。「鐘鼓楼」手前右の林は「蓟遼督師府」。

イメージ 2 ▲東門から北へ向かって「平房」民家を眺めながらのんびり歩きます。

 「鐘鼓楼」の台座は石積みの方形。東西南北に口が開けられて十字に通れるようになっています。焦礼都督によって1454年に建てられたのが最初で、その後、修復や再建を何度も繰り返しています。収められている太鼓は牛革張りで直径は2.25mあり、アジア最大の軍鼓だそうです。

 時間もないので、ここで城壁を下り、「威遠街」を「鐘鼓楼」へ向かって歩くことに。

 歩き始めてすぐに見つけたのが、酒屋さん。「遼陽純糧散白酒」という剥げかけた看板を掲げたお店。中に入ると、濃褐色の甕がずらりと並び、それぞれに何の酒でアルコール度数は何度で値段はいくらという紙が貼ってあります。この値段は一斤当たりの値段で、一斤は500g。そう、この酒屋さんのお酒は、量り売りなのです。

 店の主人もその奥さんもとーっても明るくて気のいい人たち。気さくに話をしてくれて、味見させてくれとお願いすると、いいよいいよ、どれでも好きなだけ飲んでみな!と小さな杓子を寄越します。ここで初めて出会ったのが、緑豆のお酒。店の主人に「えっ、緑豆でも白酒造るんですか?」と尋ねると、「緑豆は熱発散作用があるから、夏に飲むのにいいんだ」とのこと。せっかくなので、「緑豆原漿」を買ってみることに。「原漿」というのは、なんて言うんでしょう、「できたてそのまま」というか、「何も引かない、何も足さない」というか、そんな感じ?度数は60度で、一斤10元。やすっっっ!

イメージ 5 ▲北門の近くで見つけた酒屋さん。

イメージ 4 ▲ここのお酒は量り売り。主人が注いでいるのが「緑豆原漿60度」、一斤10元(=約170円)。

 「鐘鼓楼」よりこっち側、北側の通りは、もはや観光通りではなく、庶民の店が多いですね。美容室があったり、眼鏡屋があったり、雑貨屋、衣料品店などなどなど。人通りも少なく、のんびりした雰囲気です。11年半前に来たときと同じように、歩道の上ではオヤジたちが中国象棋に打ち興じています。のどかだなあ。

イメージ 6 ▲この二人、いったいいつからやってるのか。

イメージ 7 ▲「興城古城」の中央にある「鐘鼓楼」。最初に造られたのは1454年のこと。

 一辺800mの城壁に囲まれた城内の真ん中にあるわけですから、東西南北の門から等しく400mのところにある「鐘鼓楼」に到達し、ここで針路を西にとって、これまた生活道路的雰囲気の西側の通り(永寧街)を400m歩いて、西門(永寧門)に出たところで、今回の「興城古城」散策の旅は終了です。

 西門から外側へ出ると、出たところが半円形の城壁で両側から抱き込まれるように囲まれています。この部分を「甕城(おうじょう)」といいます。正規の城門外に防御用の城門を二重もしくは三重以上にかけた半円形あるいは方形の城壁構造のことをいうそうです。その時代時代で「甕城」があったりなかったりするそうですが、明代には城壁の強化が重視されたので、この時代の城郭にはだいたい「甕城」が設けられているのだとか。

 しかし、平穏な今の世の中では、「甕城」の内側には、野菜や果物、花、書籍などを売る露店が並び、ちょっとした小市場になっています。こんな露店を冷やかしながらの散策も楽しいですよね。

イメージ 8 ▲北門を出ると「甕城」に囲まれていて、その内側には小さな市が立っています。

イメージ 9 ▲ここまで離れると「甕城」の構造がよくわかりますね。