毎日ヶ原新聞

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寺院と教会の見える風景(念願かなってセイロンティーの旅;その48)

イメージ 6 ▲平戸藩松浦氏の居城だった「平戸城」、別名「亀岡城」とも。

 2017年4月29日、ツツジ咲く。

 平戸を代表する景観「寺院と教会の見える風景」を構成する寺院である「光明寺」は、浄土真宗本願寺派のお寺。創建は1592年(文禄元年)とされ、キリスト教の伝来よりも少し遅いですね。

 石段下の案内板によれば、この場所に境内を構えたのは17世紀の初めで、現在の経堂、鐘堂、山門などは19世紀中頃の建立。鐘堂と山門は1845年(弘化2年)の竣工、経堂は1860年(万延元年)。石段を上ると左に古色蒼然とした石垣の上にこしらえた平地を使った墓所があり、正面には山門。山門ををくぐって更にある石段の両脇にも石垣を組んで、右に鐘堂、左に経堂があり、正面にはどっしりとした構えの本堂が見えてきます。境内には色鮮やかなツツジが今を盛りに咲き誇っています。

イメージ 4 ▲ザビエル記念教会の方から下りてくる裏手の小道を光明寺山門前から見上げてみる。

イメージ 3 ▲石段を上りきると、光明寺の本堂です。

イメージ 2 ▲光明寺の境内ではツツジの花盛り。

 この光明寺の鐘堂と経堂が、ザビエル記念教会の尖塔と重なり合った風景が、「寺院と教会の見える風景」。黒い瓦と白壁の建物や墓石が折り重なった向こうに、白とモスグリーン(「シアンが多めの緑に白を混ぜたような微妙な色」との表現も見かけました。)の淡い色合いの尖塔が十字架を頂いているのが見えるのは、まさにキリスト教と仏教が融合するようでもあり、せめぎ合うようでもあり、平戸ならではの歴史が映し出された一葉の風景ということができましょう。

イメージ 8 ▲ゆるやかにカーブを描く小道から眺める「寺院と教会の見える風景」。

イメージ 7 ▲東と西の信仰と文化の融合か、せめぎ合いか。

 光明寺の隣は、「瑞雲禅寺」。曹洞宗のお寺で、13世紀終わり頃の建立。 平戸松浦家25代道可隆信の代まで松浦家の氏寺で、本尊は大日如来。光明寺の石段を上りきって光明寺の境内から瑞雲禅寺の本堂の方を見やると、本堂と竹林との間に平戸港を眺めることができます。ちょうどまっすぐ先に平戸桟橋が見えます。入港しているのは、平戸島の北に浮かぶ的山大島を結ぶフェリーでしょうか。

イメージ 1 ▲瑞雲禅寺の本堂と竹林の間に平戸港、平戸桟橋が見えました。

 この小道を瑞雲禅寺の山門前を通り過ぎてもう少し進むと、階段で住宅地へ下りていく下り口の手前で視界が開け、正面の小山の上に、平戸藩松浦氏の居城だった平戸城が見えます。

 平戸城は、平戸松浦氏第26代当主の松浦鎮信が1599年(慶長4年)に築城を開始したもので、鎮信は関ヶ原の戦いの功績等で家康から壱岐と松浦郡6万3,200石の所領を受けて平戸藩初代藩主となります。城は、1607年(慶長12年)に大火でほぼ全焼しますが、その100年後、第5代藩主・松浦棟が再建に着手し、1707年(宝永4年)にほぼ完成しました。またの名を「亀岡城」といい、明治の廃城令で廃城、解体されますが、1962年(昭和37年)になって模擬天守と見奏櫓・乾櫓・地蔵坂櫓・懐柔櫓が復元され、現在は資料館になっているそうです。

イメージ 5 ▲瑞雲禅寺を少し行った先の小道の階段下り口から眺める平戸城。

イメージ 9 ▲平戸港交流広場から眺めた平戸城。

 次は、平戸オランダ商館を訪ねようと思ったのですが、駐車できるスペースを見つけられず、平戸港に面した平戸市観光交通ターミナル、平戸桟橋、平戸港交流広場などの施設が集まるエリアに車を停め、ちょっと休憩。岸壁に立つと、港越しに平戸城が眺められます。さっき瑞雲禅寺の方からは見えなかったいくつかの櫓や城壁も見えています。

 さて、これで平戸観光は終了。平戸港交流広場の駐車場から車を出し、平戸大橋目指して平戸港沿いの道を走っていると、左側に趣のある石組みのアーチ橋が見えてきたので、慌ててカメラを取り出して撮影。

 あとで調べてみると、この橋は「幸橋」、またの名を「オランダ橋」といい、国の重要文化財。平戸港に注ぐ鏡川にはもともとは橋がなく、城と城下町の行き来は船に頼るしかなかったところへ、第4代藩主・重信が1669年(寛文9年)に初めて木橋をかけて、長年の不便が解消したことを祝って「幸橋」と命名。その息子で第5代藩主の棟が1702年に石橋にかけかえました。この時、石造りのオランダ商館建設に携わった石工や豊前からオランダ技法を伝授された石工が施工したので、「オランダ橋」とも呼ばれるようになったのだとか。なお、橋の向こうの新しい建物は平戸市役所庁舎です。

イメージ 10 ▲慌てて撮影した石造りのアーチ橋は1702年架橋の「幸橋」、またの名を「オランダ橋」。

イメージ 11 ▲橋向こうの茶色い建物は平戸市役所庁舎。