毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

シーギリヤロックを下る(念願かなってセイロンティーの旅;その21)

イメージ 1 ▲まるで高いところにいることを感じさせないけれど、ここは高さ200mの切り立った断崖の上なのだ。

 2017年4月22日、ホテル・シーギリヤ。

 カッサパ1世は、シーギリヤロックの頂上に王宮が完成した西暦484年から、ここに住まってアヌラーダプラ王国の王として君臨するわけですが、しかしそれは長くは続きませんでした。

 恐れていたとおり、王位継承権を持つ弟モッガラーナが、追放されたインドから軍隊を引き連れて、王位奪還を目指して兄カッサパ1世を攻めに戻ってきたのです。495年、もはやこれまでと観念したカッサパ1世は自害し、シーギリヤは陥落。王位を奪回したモッガラーナは、再び都をアヌラーダプラへと移しました。シーギリヤにおけるカッサパ1世の栄華はわずか11年で幕を閉じたのでした。

イメージ 2 ▲そしてまた、狭くて急な階段でシーギリヤロックを下りるのでありました。

 モッガラーナは、アヌラーダプラへ引き上げるにあたり、シーギリヤを仏教僧に寄進し、シーギリヤは13世紀から14世紀頃まで修道院として存続しますが、徐々に衰退し、やがて歴史から消え去ってしまいます。16~17世紀のキャンディ王国の頃の記録に少し登場する以外は、19世紀になってイギリス人がフレスコ画の「シーギリヤ・レディ」を発見するまで、ここシーギリヤは誰からも打ち棄てられてしまうのですね。

 再び狭くて旧な階段を伝って高さ約200mを下り、天空の王宮から地上の宮殿跡へと戻ってきました。登るときは、正面にある巨岩と巨岩の間のすき間から入っていきましたが、下りてくると脇にそれたあたりに出ます。鬱蒼と木々が茂る中の遊歩道を歩きながら、カッサパ1世が遷都してくる前にここに暮らしていた仏教僧たちが修行や集会などに使っていた場所などを見ることができます。

イメージ 3 ▲鬱蒼と茂る木々の中を通って、最初に入ってきた入口へと戻ります。

 シーギリヤロックには午前中に、できれば朝に登るのがよいと書いてあるガイドブックも見受けられます。午前遅くなるとパッケージツアーの観光客が押し寄せて大混雑するからとか、近くのホテルで一泊し、朝イチで登って、それからホテルへ戻って荷造りしてチェックアウトするのが楽でいいからとか、いろいろあるようです。

 しかし我々はこれに思い切り逆らって、スタートしたのがもう午後3時過ぎで、駐車場へ戻ってきたのは午後6時になろうかという時間でした。でも、観光客は大混雑というほどではなかったし、暑いと感じるほどでもなく、シーギリヤロックの頂上を吹く風はとても気持ちよかったので、こんな時間帯も悪くないんではないかと思いました。

イメージ 4 ▲ホテルへ向かう途中で見ることができた、シーギリヤに沈む夕陽。

 日が暮れてきました。シーギリヤロックの西側エントランスまで戻り、車に乗って、シーギリヤに沈みゆく夕日を眺めながら、この日の宿へ向かいます。約3km、10分ほどのところにある「ホテル・シーギリヤ(Hotel Sigiriya)」です。

 エントランスとメインバーを中心に、オール平屋の長屋が林の中に何棟も複雑に配置されているという造りで、どこでどっちに曲がったかしっかり覚えておかないと、簡単に迷ってしまいそうです。

 エントランスとメインバーは壁や窓が一切ないオープンエアになっていて、ホテルと周囲のジャングルとの境目がなく、大自然の中にいるという感じがリアルです。その前にはプールがあり、そのプール越しに、シーギリヤロックが見えるのです。これは、感動。

イメージ 7 ▲「ホテル・シーギリヤ」のメインバー。オープンエアです。

イメージ 5 ▲メインバーの前にはプール。とっても気持ち良さそう。

イメージ 6 ▲そしてプールの向こうには、さっき登頂に成功したばかりのシーギリヤロックが!

 香港からの同行者は、近所の施設へアーユルベーダに行ってしまいましたので、戻ってきて一緒に夕食へ行くまで、僕は部屋でひと休み。お先に少し飲んでもいいでしょう。というわけで、ライオンビールをいただきます。

 スリランカのビールと言えば、1881年創業のアジアでも屈指の歴史をもつライオン・ブリュワリーのビール。そのラガーはもちろん定番商品であります。「シーギリヤ」という地名は、シンハラ語で「シンハ(ライオン)」と「ギリヤ(のど)」の二語が合わさってできたと言われていますが、まさにライオンの地でライオン・ビールを飲む、最高であります。

イメージ 8 ▲今回のスリランカ旅行で最初のライオンビールはシーギリヤで。