毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

まさにここに天宮があったのだ(念願かなってセイロンティーの旅;その20)

イメージ 2 ▲シーギリヤロックの頂上からカッサパ王は毎日こうやって地平線を眺めていたのか。

 2017年4月22日、強者どもが夢の跡。

 そしてついに、シーギリヤロックの頂上へ、登りつめました。

 登り口からの高さは約200m、岩肌づたいに取り付けられた階段や回廊を一歩一歩踏みしめながら登ってたどりついたこの巨大な岩のかたまりの頂上で、まず目を奪われるのは、周囲の眺望。すっっばらしい絶景です!

 周囲に何かが見えるというわけではありません。ジャングルや、湖や、ちょっとした山や、そんな手つかずの大自然が、360度、どっちを向いてもはるか地平線までひたすらに続いているのです。

イメージ 3 ▲地平線に並ぶ山々までずっと森林が広がるのみ。

イメージ 9 ▲シーギリヤロックの頂上に立つ一本の木と、背景の果てしない森林の広がり。

 シーギリヤロックの大きな特徴の一つは、この巨岩のかたまりが、ただの自然が生んだ造形だというだけでなく、アヌラーダプラ王国のダートゥセーナ王の息子カッサパ1世が、父を幽閉し更には殺害し、王位継承権を持つ弟モッガラーナをインドへ追放し、アヌラーダプラからここシーギリヤへ都を移し、即位から7年の歳月をかけて、この巨岩のてっぺんに王宮を建てちゃったということです。そう、この高さ200mの巨岩の頂上の平たくなっているところには、西暦484年頃、燦然たる王宮が建っていたのです!

イメージ 6 ▲頂上に今も残る宮殿の跡。石積みの土台などがよく残ってます。

イメージ 7 ▲台地のような頂上は南北約180m、東西約100mの広さで宮殿跡が見られます。

 台地のような形のシーギリヤロックの頂上は、南北約180m、東西約100mの広さがあり、ここに大きく分けて3つの部分から成る王宮があったそうです。「Upper Palace Area」、「Lower Palace Area」、そして「Palace Gardens」です。まず、「Lower Palace Area」は頂上の北東部にあたり、「ライオン・ゲート」の方から登ってくると最初に出るのがこのエリア。その南側が「Palace Gardens」、天空の王宮の庭と言ったところでしょうか。階段状に少しずつ低くなりながら頂上の南のへりへと下っていきます。ここには石で固めた貯水池があります。下界にたくさんあったプールのようにも見えますが、頂上のはあくまでも貯水池として使われていたと見られています。

イメージ 4 ▲頂上から西を臨めば、まっすぐにのびるあの道は、もしや。

イメージ 5 ▲そう、我々はあの道を歩いて入ってきたのだった!うーん、思えば遠くへ来たもんだ。

 そして、庭の北側、「Lower Palace Area」の西側で一段と高くなったところが「Upper Palace Area」、つまりそここそが、「the Royal Palace area」、即ち王カッサパ1世の居所であった場所であります。カッサパ1世がシーギリヤに遷都し、7年かけてこの王宮を築き上げるわけですが、同時に首都全体の建設も行い、首都全体の中心(首都の南北を貫く軸と東西を貫く軸が交わる点)が、このシーギリヤロックの頂上の王宮になるように設計されていたそうです。

 ただ、頂上に貯水池が設けられているように、ここに水を貯めることができない乾期には、さすがの王様もこんな岩の上で暮らすことはできないので、下界へ下りて、様々に趣向を凝らしたプールなんかに妃たちを泳がせたりしながら暮らし、水を貯められるだけの雨が降る時期だけ、シーギリヤロックの頂上に住まっていたそうです。

イメージ 1 ▲これはたぶんいちばん高くなっている「the Royal Palace area」からの見晴らし。

イメージ 8 ▲右下隅に見えるのは頂上の南端部。爽やかな風に吹かれながらこの頂上でのんびり過ごしたいですね。