毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

カッサパの夢のあと(念願かなってセイロンティーの旅;その16)

イメージ 2 ▲「シーギリヤ博物館」を示す石碑、奥は外濠。このあたりから王宮址へと入っていきます。

 2017年4月22日、あ、またサル。

 ダンブッラの石窟寺院同様、もともと訪れる予定ではなかったので、またまた予備知識ゼロでやってきてしまいました、シーギリヤロック。ロックというからには岩を見に来たんだろうと思いきや、入場券を求め、ガイドさんに案内されて敷地の中に入ると、まず出くわしたのが、サル。木の幹の上に座って下界の人間を睥睨しておられる。あっ、このサルは、午前中にダンブッラの石窟寺院で出会ったサルとは違うなあ。白い毛並みで、顔が黒い。

 それにしても、こんなに行く先々で野生の動物に出くわすとは、セイロン島は本当に自然が豊か。大自然の中に小さい人間がちょっとおじゃましてるって感じになりますね。

イメージ 1 ▲木の幹に腰掛けて悠々とした様子のお猿さん。顔が黒くてちょっと見慣れないお顔。

 次に見えてくるのは、水をたたえたお濠、そして「シーギリヤ博物館(Sigiriya Museum)」と記された石碑であります。

 ガイドさんの説明で予備知識ゼロの僕がようやくわかったことには、ここは、シンハラ王朝アヌラーダプラ王国がシーギリヤに遷都していた時代の王宮の跡らしい。5世紀に、ごくわずかの間だけここに都を移して存在した王国の栄枯盛衰の歴史が、今、博物館として訪れる者にこうして開陳されているということのようです。

イメージ 3 ▲外濠とでも言うか、王宮跡のいちばん外側を囲うお濠。

 紀元前543年、インドからスリランカにやってきたのがウィジャヤという人で、スリランカの最初の王とされている人物。タンバパニに都を置いてタンパパニ王国の王として紀元前543年から505年まで在位しつつ、各地に入植地を建設していったそうです。その中の一つのアヌラーダプラに、紀元前377年、ウパティッサ・ヌワラ王国のパンドゥカーバヤ王が都を移し、ここにアヌラーダプラを首都とする王国が成立します。

 しかし!アヌラーダプラ王国のダートゥセナ王(Dhatusena)の長男カッサパ(Kashyapa)は、王族の血筋を持つ母から生まれ王位継承権を持つ弟モッガラーナ(Moggallana)をインドへ追放し、父ダートゥセナを幽閉し最後には殺害して、473年に即位(477年、479年とするものもあり。)します。父を殺害したという罪の意識に苛まれ、また、弟モッガラーナが王位を奪いに攻めてくるのではとの不安にも駆られ、王都をアヌラーダプラから移したのが、ここシーギリヤなのです。

イメージ 4 ▲お濠を渡って、いよいよここから宮殿跡へと入っていきます。

 お濠にかかる橋を渡ると周囲が開け、建設当時のまま残っているとされる石造りの塀に囲まれて、かつて宮殿の中にあったいろいろな建物の礎石などを見ることができます。

 この宮殿跡に、西側から入ってきたわけですが、そうすると最初に広がるのは「Miniature Water Gardens(ミニチュア・ウオーター・ガーデン)」、その先には「Water Garden 1」と呼ばれるエリア。建物は残っていませんが、建物がかつて建っていたと思われるところには礎石や敷石が残っており、また、地面を掘り下げて石を敷き詰めた大小のくぼみがたくさんあります。

イメージ 5 ▲敷地内に入ってまず広がるのは「ミニチュア・ウオーーター・ガーデン」。

イメージ 7 ▲かつて建てられていた建物の敷石などが残っています。

 このエリアには、かつて宮殿、あずま屋、プール、貯水池等があり、王族の憩いの場であったそうです。プールでは、カッサパ1世王の妃たちが泳ぎ、地下には配水管が複雑に張り巡らされ、それらを貯水池と結んで水を通し、それで涼をとっていたそうです。

 プールはかなり大きいものがあり、今もプールの壁と底を築いた石組みはしっかりとしていて、このプールに満々と水を張り、青々と茂る森林に囲まれて水遊びに興じるのはさぞや平和でしあわせだったことでしょう。プールどうしは配水管でつながれて、どのプールの水面も常に同じ高さになるように調節されていたそうですよ。

イメージ 6 ▲しっかりとした石組みが残るプール跡。

イメージ 8 ▲貯水池の跡でしょうか。配水管が縦横に巡らされていたそうです。