毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

後三年の役・前九年の役(謹賀新年!暖冬東北ぶらり旅;その19)

イメージ 2 ▲中学3年のときに自由研究の宿題をするために来たことがある後三年駅。

 2017年1月2日、自由研究。

 大曲駅で11分の停車時間をとっていた新庄行き2440Mは、「こまち20号」を見送ってから、12:51にようやく発車です。

 奥羽本線秋田以南は、秋田新幹線ではなく在来線普通列車には、10年前の2007年12月に、秋田から朝イチの2428Mに乗って大曲まで行ったことが一度あるきりです(そのときの記事はコチラ。)。大曲から先の奥羽本線へ行くのは、たぶん山形新幹線が新庄まで延伸開業してからは初めてでしょう。「あけぼの」も「津軽」も走らなくなり、秋田新幹線も走るようになって、山形新幹線では新庄まで行けるようになり、大曲~新庄間へ行くことは絶えてなくなってしまったのです。

イメージ 1 ▲大曲~飯詰間の田んぼは暖冬とは言え雪景色。

 いよいよ超久しぶりの大曲以南へ歩みを進めれば、最初の駅は飯詰。そしてその次は後三年です。

 後三年駅。実に思い出深い駅です。中学3年生のとき、時刻表を眺めていたら「後三年」という駅があることを知り、これはきっと歴史の時間に習った「後三年の役」にゆかりのある場所であろうとすぐに思いました。「後三年の役」は簡単に言うと、清原氏が朝廷に対して反乱を企てたので、朝廷が源義家を遣わしてこれを討った戦いで、1083年に発生。これとセットで習う「前九年の役」(1051年から陸奥(岩手県北上盆地あたり)で源頼義・義家と安倍一族が戦ったやつ)の址もどこかに残っているのではないかと調べたら、盛岡市内に「前九年公園」を発見。近くに「前九年二丁目」などのバス停もあることがわかったので、よし、この両方の場所を訪れて、自由研究にしよう!と思い立ち、青森駅から客車列車に乗って後三年駅までやってきたのです。いや~なつかしい~~。

イメージ 3 ▲横手では5分停車。 

 後三年駅には13:02に到着し、湯沢始発の秋田行き普通列車439Mと交換。後三年駅の次は、13:08に横手到着です。
 
 横手と言えば、かまくら、横手焼きそば、そして銘柄「まんさくの花」の「日の丸醸造」。横手焼きそばと言えば、目玉焼きを載せて福神漬けを添えた焼きそばで、「横手やきそばサンライ’s」は、ご当地グルメでまちおこしの祭典「B-1グランプリ」には第1回から継続して出展し、地元・横手での第4回(2009年)ではゴールドグランプリを獲得し、殿堂入りを果たしている実力派。一度は食べてみたいものです。

イメージ 4 ▲横手駅にて。巻き取り式の幕表示に比べるとなんとも味気ない。

イメージ 5 ▲ホームには雪はなく、アスファルトは乾いていて、とても1月2日とは思えんなあ。

 横手駅を13:13に発車すると、次は柳田、そして醍醐。京都市営地下鉄東西線にも醍醐駅があり、こちらは近くに世界遺産にも指定されている「醍醐寺」があるから納得ですが、秋田のこんないなかになにゆえ「醍醐」と名乗る駅があるのでしょう?駅の所在地が「横手市平鹿町醍醐」となっており、駅周辺の地名が「醍醐」なようです。1889年(明治22年)の町村制施行により醍醐村が誕生したのが始まりらしいですが、その由来はわかりません……

イメージ 6 ▲なんか高貴な感じのする駅名「醍醐」。地名の由来はなんなのだろう?

 醍醐の次は十文字。今でこそ横手市に編入されているけれど、かつては平鹿郡十文字町の中心駅だったので、特急「つばさ」なんかも停車していたはず。今でも2面3線の長いホームが残っていて、長い編成の特急列車がやってきそうな気がします。

 大曲あたりから三関、横堀あたりまでは、仙北平野、平鹿平野と続く横手盆地を北から南へ縦断していくので、車窓の風景は、あきたこまちを産する有数の穀倉地帯の田んぼを眺めながらいくことになります。この季節は、ひたすら雪原が続いていくわけです。

イメージ 7 ▲かつては特急「つばさ」や急行「津軽」なども停車していた十文字駅をあとのして。

イメージ 8 ▲横手盆地の穀倉地帯をゆく(三関~横堀間)。