毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

年越しだもの。(謹賀新年!暖冬東北ぶらり旅;その6)

イメージ 11 ▲浅虫温泉「椿館」での夕食。年越しなんだからちょっと贅沢してもいいよね。

 2016年12月30日、31日、暮れも押し迫り。

 16:05に到着した浅虫音背値機で快速「リゾートあすなろ八戸2号」を降り、駅前に出ると、この日のお宿の送迎車が迎えに来てくれてます。

 この日停まるのは、浅虫の温泉街の中ではいちばん山手というか内陸部にある「棟方志功ゆかりの宿 椿館」。海の眺望などはありませんが、1687年(貞享4年)には既に「つばきの湯」が湧いていたようで、藩政時代には藩の陣屋だったとか。1876年(明治9年)には明治天皇陛下東北巡幸の際の行在所となり、1941年(昭和16年)頃からは、青森出身の世界的版画家・棟方志功が毎夏訪れて逗留していたそうです。

イメージ 1 ▲「椿館」の夕食は、お部屋でいただくことができます。

イメージ 2 ▲目の前に陸奥湾があるだけに、青森のお刺身はとにかく新鮮でオイシイ。

イメージ 9 ▲青森の地魚で欠かせないヒラメの昆布〆め、そしてボタンエビ。

イメージ 10 ▲エゾアワビの刺身はコリコリとした食感がたまらない。

 棟方志功は、72歳で亡くなる1975年の前年までこの宿に逗留に訪れており、逗留の目的はあくまで静養であったので、逗留中に版画の制作をすることはなかったようですが、逗留中もどんどん創作イメージがわいてくるので、逗留中にもさまざまな作品を制作し、それを宿に置いていってくれたそうです。そんなわけで、「椿館」の館内にはいたるところに志功の作品が展示してあり、しかもそれはほとんどが直筆画だそうです。広く出版されている棟方志功全集などには収録されていない作品を、ここ「椿館」で鑑賞することができるのです。

イメージ 4 ▲ツブ貝とキュウリ、食用菊、ミョウガの酢の物かな?

イメージ 5 ▲青森と言えばこれまた外せないナマコ酢。

イメージ 7 ▲煮物はまん丸の里芋にカボチャ、そしてがんもどき。

イメージ 8 ▲青森でキノコと言えばサモダシ(ナラタケ)、食用菊やワラビなどと和えてます。

 「椿館」に通っていたのは棟方志功だけではなく、作家・太宰治もその一人。太宰の母と姉が「椿館」で湯治をしていたことから、太宰もここに投宿し、ここから青森市内の学校に通っていたのだとか。宵節「津軽」でも「この青森市から三里ほど東の浅虫といふ海岸の温泉も、私には忘れられない土地である。」と書いて浅虫温泉に言及し、初期の小説「思ひ出」を引用して「「秋になつて、私はその都会から汽車で三十分くらゐかかつて行ける海岸の温泉地へ、弟をつれて出掛けた。そこには、私の母と病後の末の姉とが家を借りて湯治してゐたのだ。私はずつとそこへ寝泊りして、受験勉強をつづけた。」などと書いています。

イメージ 6 ▲貝焼き鍋には大きなホタテが丸ごと一つにキンキの切り身など具だくさん。

イメージ 12 ▲夕食の看板メインメニューの一つ、エゾアワビとホタテの丸ごとステーキ!

イメージ 3 ▲もう一つのメインメニューは、青森県倉石牛の陶板焼き!

イメージ 13 ▲倉石牛、食べ頃であります。

 「椿館」は全26室ということで、晦日ということもありほぼ満室だったと思われますが、館内はそんなに混み合っているような気配はなく、椿の木の根元から涌いたので「椿の湯」と名付けられたここ「椿館」の温泉は、今も9本の自家源泉からのかけ流しで、晦日の夜をゆっくりと温泉に浸かって過ごすことができました。

 翌日の朝食も、シンプルながら品数は豊富で、青森の郷土料理「貝焼き味噌」や鮭の切り身、青森特産のナガイモのとろろなど、朝からごはんが進みます。さて、大晦日、2016年も残すところあと1日となりました。

イメージ 14 ▲朝食のお膳。左上が「貝焼き味噌」、その右下がナガイモのとろろ。