毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

「石の教会」(夏の旅、北へ南へ時々台風;その74)

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              ▲タムダオ集落に残る1937年頃建造の「石の教会」。

 2016年8月29日、また3km弱歩いた。

 タムダオ高原の2日目~。

 あいかわらず霧は立ちこめていましたが、レストランのテラスで下から湧き上がってくる霧に時に包まれながらの朝食はなんとも涼しく、爽やかで、神秘的で、天空の街ならではの体験でした。

 食後は、せっかくなので、天空のプールで泳ごうということになり、他に誰もいない貸切状態のプールを独占して、雲の中を泳ぎまくり状態!こりゃいいわ!!

 しばらくすると、新婚さんがまた例によってプールの縁に立ってポーズを決める記念写真を撮りにきたので、それをしおにプールからあがり、もうホテルチェックアウトの時間です。

イメージ 1 ▲フロントデスク棟は開放的。前面ガラス張りの窓の向こうには雲海がたちこめてます。

 チェックアウトはしましたが、荷物はフロントに預けて、まだしばらくタムダオを楽しめます。さっきけっこう泳いで体力を消耗しましたが、また3km弱の上り坂を歩いてタムダオ集落の中心部へ行くことに。案内人のハンさん、なかなか容赦ないね(ー_ー)。

 そして今回は45分ほどでゴールにたどり着き、前日はぐるりと回っただけだったタムダオ集落の中をのんびり歩きます。中でも目を惹いたのは、がっしりとした石造りの教会。アーチ形の窓が並ぶ聖堂とそれに続く塔、その隣には、いくつもアーチ形にくりぬかれた壁に囲まれた中庭があります。

イメージ 3 ▲アーチ形にくりぬかれた壁の内側の中庭の向こうには尖塔が。

 この教会は「Nhà thờ Đá Tam Đảo(ニャトー・ダ・タムダオ)」といい、「タムダオの石の教会」という意味だそうです。

 タムダオの集落は、フランス植民地時代に避暑地として建設され、100を超すビラやホテル、教会などが建てられたそうで、この教会もその一つで、最初の建設は1906年。その後、1937年になって現在残っているような石積みのゴシック様式で再建されたようです。ニンビン省ファットジエム教会、ラオカイ省サパの教会、クアンホア省ニャチャン教会と合わせてベトナム四大石の教会とされているみたい。

イメージ 4 ▲いかつい造りの聖堂前では、ここでも新婚さんが記念撮影中。

 タムダオ集落は、1946年~1954年のインドシナ戦争の際、ベトナム軍による焦土作戦で、この「石の教会」以外のほとんどの建物が破壊されてしまったそうです。1951年に、このあたりの中心都市であるヴィンイエンで「ヴィンイエンの戦い」が行われているので、その時かもしれません。その後、タムダオは、1990年代に入って再建に着手され、今のような避暑地へと発展したとのことです。

 インドシナ戦争を経ても破壊されることのなかった「石の教会」、聖堂の前では、ここでも新婚さんが熱心に記念撮影にいそしんでいます。聖堂から続く尖塔は高さ18mで、これは鐘楼です。隣の中庭からは、タムダオ集落を見渡すことができます。複雑な歴史を背景に、アジアとヨーロッパが交錯する場所に、避暑地タムダオでもたつことができるのです。

イメージ 2 ▲聖堂の裏手から。それにしてもいかつい造り。