毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

志布志市志布志町志布志(夏の旅、北へ南へ時々台風;その35)

イメージ 4 ▲日南線終点志布志駅。後ろのマンション、日南線ビューでいいなあ(笑)。

 2016年8月19日、雲もない空のさびしさ。

 志布志駅の駅舎は、白色の瀟洒な三角屋根。駅名の下には「志布志市総合観光案内所」の看板もあり、観光情報収集の拠点にもなっているようですが、まだ朝早いせいか、人影もなく、開いているふうもありません。でも、駅の所在地がすごい。「鹿児島県志布志市志布志町志布志」。見てると目がちかちかしてくる。

 それにしても、駅前にだだっ広さと言ったら、駅舎には不釣り合いで戸惑ってしまいそうなほど広すぎる。しかも舗装されたばかりという感じで、この広い空間に、タクシーが1台停まっているきりです。駅前の大通りに面しては、山頭火の句碑があり、「一きれの雲もない空のさびしさまさる」とある。ああ、まるでこの日の志布志駅前のようだ。山頭火が日南海岸沿いに志布志へやって来たのは昭和5年10月10日であったそうな。ということは、山頭火が見上げたのは夏空ではないが。

イメージ 1 ▲瀟洒な白色三角屋根の駅舎はかわいらしいが、駅前広場が広すぎて。

イメージ 5 ▲「一きれの雲もない空のさびしさまさる」とは、まさにこの日の志布志駅前のよう。

 駅舎の中に、「終着駅は始発駅」と題された、「志布志まちづくり研究会発足6周年記念」として作られたらしい「志布志駅の歩み」を記したプレートが掲げてありました。

 これによれば、実はこれを見るまで本当に知らなかったのですが、かつて、志布志駅からは、日南線だけでなく、志布志線と大隅線という二つの鉄道線が出ていたのですね。志布志線は志布志と西都城を結ぶ38.6kmの路線で、1987年3月28日に廃止。大隅線は志布志から鹿屋、垂水を経て国分へ至る98.3kmの路線で、1987年3月14日廃止。なんだー、僕はこれから垂水へ向かうのだけれど、以前だったら志布志から列車で行けたのか!乗ってみたかったなあ。

イメージ 2 ▲駅舎内の「志布志駅の歩み」で志布志線と大隅線の存在を知る。

 それで、志布志駅構内のこのだだっ広さのわけがわかりました。志布志駅では3つもの路線が発着していたのですから、構内が広いのも当然です。調べてみると、日南線だけになる前の旧志布志駅の時代は、機関区、車掌区、保線区が置かれ、転車台もあり、売店もあって弁当販売もあったとか。もちろん貨物取扱もあって、広大な貨物操車場も広がっていたそうです。

 駅舎内に掲げられる「志布志駅の歩み」は、1918年12月の「都城~志布志間鉄道開設決定」から始まっているけれど、それからもうすぐ100年。100年の時は志布志駅を行き止まりの終着駅へと押し流してしまったわけです。

イメージ 3 ▲今は草地も当時は機関区や貨物操車場が広がっていたのでしょうねえ。

 さて、大隅線なき今、僕はこれからバスに乗りたいのですが、ざっと周囲を見回して、バス停が見当たらない。案内板のかけらもない。これは困った。「志布志駅上」バス停発08:52のバスがあるというのを調べてきたのだが、終着駅の余韻に浸っていたら、もう時間もあまりなくなってきた。これはちょっと危ないぞ。

イメージ 6 ▲路線バスで小さな集落をたどりながら鹿屋方面を目指します。

 駅正面には大型ショッピングセンター「サンポートしぶしアピア」があり、広い道路が走っているけれど、バス停があるふうではない。ここはちょっと賭けに近いが、駅前通りを北へ上がってみる。すると、郵便局が角になっている交差点に出て、標識によればこれが国道220号線。バス停は右に行けばあるのか、左なのか……考えてもわからないので、交差点を右折してみることに。右折して150mほど歩いたとき、前方にバスの姿が!あっ、あれだ。しかし、バス停は?焦って駆け出すと、バスは前方の「ドラッグイレブン」前の駐車スペースに車体を寄せて停車。よかった、そこがバス停だった!

 いやー、危ないところだった。予定の「志布志駅上」バス停の一つ手前の「志布志」バス停で、なんとか乗りたかったバスをつかまえることができたようです。このバスは垂水港行きですが、僕は、志布志から45分ほど乗った、鹿屋市街地へ入る手前の「東笠之原」バス停で下車します。このバス停が始発で鹿児島市内行き直通バスが運行されているので、乗ってみたいのです。

イメージ 7 ▲観光地でもターミナルでもないただのバス停「東笠之原」で下車。所定09:36到着。

イメージ 8 ▲このバス停が始発で、鹿児島市内行き直通バスが運行されているんです。