毎日ヶ原新聞

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不昧公墓所・月照寺(旅するニッポン、春たけなわ;その10)

イメージ 2 ▲松江藩藩主が九代にわたって眠っているのが、ここ月照寺。

 2016年4月3日、ヒイキ。

 茶室「明々庵」をあとにして、再びお濠沿いの道に戻り、北へ歩いて、小泉八雲記念館前までやってきました。隣には小泉八雲旧居や田部美術館とかいうのも並んでいますが、これらには入らず、小泉八雲記念館前バス停から「松江ぐるっとレイクラインバス」に乗り、5つめの月照寺前バス停で下車。降りれば月照寺はすぐそこです。

イメージ 1 ▲桜咲く、その奥に、月照寺の正門。

 この地に長く荒廃していた洞雲寺(とううんじ)という禅寺があり、松江藩越前松平家初代藩主・直政が生母の月照院の霊牌安置所として1664年(寛文4年)にこの寺を再興、「蒙光山(むこうさん)月照寺」と改名した、というのが、ここ月照寺の縁起です。1666年(寛文6年)、直政が臨終の間際に、「此所に墳墓を築け」と遺言したことから、二代藩主・綱隆が境内に父・直政の廟所を営み、その後九代藩主までの墓所となったのであります。

 正門をくぐって境内に入ると、境内はかなり広い様子。背後の木々生い茂る山と、手入れは行き届きながらも苔生して長い時を経ていることが一見してわかる庭が渾然一体となり、350年の歴史が境内全体を覆っているような気配を感じます。境内は約1万㎡もあるとのことで、本堂や宝物殿、松平家初代から第九代藩主までの廟所が厳かに並んでいます。

イメージ 3 ▲手入れされた庭のところどころに満開の桜の木。

イメージ 13 ▲桜の薄いピンク色に覆われて、レンギョウの黄色がひときわ鮮やかに。

イメージ 11 ▲境内の中は、木々が生い茂って見渡せないけれど、かなりの広さ。

 苔生す石を踏みながら境内を進むと、ひときわ立派な廟門の前に出ます。廟門脇には「高真院殿直政 慶泰院殿室」の案内板。ここがまさに松平家初代藩主・直政の墓所。「慶泰院」は直政の正室・久姫のこと。門前で手を合わせてから、中へ入ります。

 廟門を入ってすぐには、池を渡る石橋がありますが、この池が淀みきっている。水が流れないようになっているようで、腐った水の臭いがたちこめているのはどうしたわけか。

 その奥には、寺の中だが石造りの鳥居があり、そこから数段の石段を上ると、そこが墓所で、ここでも手を合わせます。直政の没年は1666年。今年でちょうど350年であります。

イメージ 6 ▲初代「高真院」直政の墓所。立派な廟門。

イメージ 4 ▲廟門をくぐると、悪臭たちこめる淀んだ水がたまる池の向こうに墓所。

イメージ 5 ▲石造りの鳥居の奥にひっそりと墓所が佇んでいました。

 初代藩主・直政の参拝を終え、境内をさらに奥へと進むと、15段ほどの石段の上にまたしても立派な廟門が。こここそが、七代藩主・治郷、即ち茶人・不昧公の墓所。この廟門は、松江の名工で不昧公のお抱え職人だった小林如泥の作とされ、見事な彫刻が施されています。直政と不昧公の墓所の廟門は島根県の有形文化財に指定されているそうです。

 不昧公の戒名は大円庵不昧宗納大居士。正室は仙台藩主伊達宗村の九女・方子(よりこ)、後に「[靑彡]樂院(せいらくいん)」。廟門にも「大円庵」の額が掲げてあり、境内には「大円庵」という茶室もあるそうです。

イメージ 7 ▲石段の足下に桜の木。石段の上に廟門。

イメージ 8 ▲廟門には「大円庵」の額。

イメージ 10 ▲ここにも、石造りの鳥居がありますね。

イメージ 9 ▲そしてここが不昧公の墓所。静かに手を合わせます。

 ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、この寺をこよなく愛し、墓所をここに定めたいと思っていたとも言われています。

 さて、境内をさらに奥へと分け入れば、第六代藩主・宗衍(むねのぶ)の廟所へと続きますが、ここに大亀の石像があるのが目を引きます。

 小泉八雲が遺した伝説の一つでは、松平家の藩主が亡くなった後、亀を愛でていた藩主を偲んで大亀の石像を造ったところ、その大亀が夜になると動きだし、蓮池の水を飲んだり、城下の町で暴れ人を食らうようになったので、住職が、亡くなった藩主の功績を彫り込んだ石碑を大亀の背中に背負わせてこの地にしっかりと封じ込めた、という話。

 しかし、中国を知る者であれば、この石碑を背負った亀の姿はおなじみのもの。中国の伝説では、この亀のようなモノは、龍が生んだ9頭の神獣・龍生九子のひとつ「贔屓(ひいき、びし)」。その姿は亀に似ていて、重いものを負うのを好むとされ、古来、石柱や石碑の土台の装飾に用いられてきました。だから、この亀みたいなのも、「亡くなった藩主の功績を彫り込んだ石碑」の台座の装飾に過ぎないのではないか、という気もするのですが、そんなこと言ったらせっかくの伝説が台無しか。ごめんごめん。

イメージ 12 ▲藩主が愛でた亀か、龍生九子の一つ「贔屓」か。とにかく中国ではこれはおなじみの姿。