毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

国宝・松江城(旅するニッポン、春たけなわ;その8)

イメージ 2 ▲2015年7月8日に国宝に指定された松江城天守。

 2016年4月3日、千鳥城。

 二の丸から本丸へ入ると、いよいよ松江城の天守が目の前に姿を現しました。

 天守の外壁の大部分は黒く部厚い下見板張りで、質実剛健の構え。姫路の「白鷺城」に対し、「千鳥城」とも呼ばれています。全国に現存する12天守の一つで、山陰地方では唯一の現存する天守閣。「日本さくら名所100選」にも選ばれているそうで、どうりで桜が美しいわけです。

イメージ 1 ▲さくら祭りまっさりちゅうの本丸の奥に、松江城天守。

 関ヶ原の戦功で月山富田城に入った堀尾忠氏が、近世城下町形成を目指して松江に移り、1607年(慶長12年)から5年の歳月を費やし、1611年(慶長16年)に築城。堀尾氏3代、京極氏1代、松平氏10代の居城となりました。松平氏の第7代藩主の治郷(はるさと)は、江戸時代の代表的茶人の一人で、「不昧公(ふまいこう)」の名で知られていますよね。

 この松江城、標高28mの亀田山(城山)の上にあり、現存する天守閣は5層6階で高さ約30mの望楼式。最上階の「天狗の間」からは四方が死角なく展望でき、眺望は格別です。

イメージ 3 ▲最上階からの眺望。もちろん宍道湖も見渡せます。

イメージ 4 ▲天守の西面。「附櫓」の出っ張りがよくわかります。

イメージ 5 ▲本丸も桜も、満開。

 天守の西面を抜けて、北ノ門址から、公園の北側へ出ます。こちらは、南側と違って、樹木が鬱蒼と茂った中の道を歩くことになります。本丸などの石垣を間近に見ることができますが、築城400年を経て、まったくゆるみがありません。石垣の石は、松江市東方の嵩山(だけさん)から切り出してきた「大海崎石(おおみざきいし)」という石。「牛蒡積み」と呼ばれる工法が、400年を経てなお寸分のゆるぎも見せない石垣を造り上げたのだとか。

イメージ 6 ▲北ノ門址から北へ抜けると、「牛蒡積み」で積まれた本丸の石垣を間近で見られます。

 お濠の手前で広めの道に突き当たり、その道を東へ歩けば、北惣門橋を渡ってお濠の東側へ抜けられ、「松江歴史館」の前に出ます。このあたりには、江戸時代には松江藩の家老屋敷が建ち並んでいたそうです。

 「松江歴史館」の北側のお濠を宇賀橋で渡り、お濠の外周に沿って北へ歩いていくと、コースの全長約3.7km、所要約50分で行く、堀川めぐりの小舟が行き交うのが見られます。こんな気持ちのいい晴れた春の日に、小舟でのんびりお濠をめぐるのは、なかなか風流で、楽しいでしょうね!

イメージ 7 ▲お濠の北側。中央奥が北惣門橋、左が宇賀橋。宇賀橋の奥が松江歴史館。

イメージ 8 ▲のんびり漕ぎ進む堀川めぐりの小舟。