毎日ヶ原新聞

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三内丸山遺跡(紅葉まだき初秋のニッポン旅;その3)

イメージ 10 ▲初秋の晴天、三内丸山遺跡。我が実家の裏山みたいなとこが大昔がこんなだったとは。

 2015年9月20日、土器掘り。

 あまりにも気持ちの良い天気になったので、あまりゆっくり散策したことのない三内丸山遺跡へ行ってみることに。今から約5500年前~4000年前の縄文時代の日本最大級の集落跡で、1992年から発掘調査が行われ、竪穴住居跡、大型竪穴住居跡、大人の墓、子どもの墓、盛土、掘立柱建物跡、大型掘立柱建物跡、貯蔵穴、粘土採掘坑、捨て場、道路跡などが見つかり、今や青森市の重要な歴史資源であり観光資源になっています。

イメージ 1 ▲まさか小学生時代の遊び場がこんな遺跡になってしまうとは。

 しかし僕は、いやいやちょっと待ってよと言いたい。1992年から発掘調査を行ったというけれど、僕たち、小学生の頃(1970年代後半)から発掘してましたよ(笑)。

 三内丸山遺跡一帯は、青森市西部に広がる梵珠山地の山麓部である大釈迦丘陵の東側のへりにあたり、市街地の方から来るとこのあたりから丘陵が始まるといった地形になって、我が家からは自転車で15分も走れば行けるあたり。小学生のときは、このあたりを流れる小川へ同級生どうしで毎日のように遊びに行ってました。それはなぜか。ヤゴとかザリガニを獲るのが楽しかったというのももちろんあるけど、それよりも何よりも、小川に落ち込む斜面の土を掘ると、土器がぞろぞろと出土するからです。

イメージ 12 ▲今や駅からここまで路線バスが通ってるってんだからスゴイ(笑)。

 出土すると言ってもほとんどは小さな破片ばっかりなんですが、それでも中には縄文式土器特有の縄目模様がはっきりとわかるものもけっこう出てきて、なんか考古学者気分になれちゃうんですよ、これが。
 別にシャベルとかスコップとか要らなくて、斜面の土は地下水とかで濡れていて、ろくろにかける前の粘土みたいになっていて、これに小川の水をかけながら手でちょっと掘ると、すぐに土器のかけらに当たるんです。毎日バケツ一杯に土器の破片を持ち帰っては、母に「アンタ!こんなもの持って帰ってきて、どうするの!」と叱られていたような。

イメージ 13 ▲大型竪穴住居跡や掘立柱建物跡が点在しています。

 ある日、いつものように友だちと土器を掘りに行ったら、ラーメンのどんぶりぐらいの直径の土器が出土。縄目模様もくっきりたっぷりついていて、これはまさに掘り出し物。これは一大発見だから、ちゃんと報告しなければと思い、市内にある県立郷土館に持って行ったら、「こういうものを勝手に掘り出してはいけません」と叱られた、というのも今となっては懐かしい思い出。

イメージ 2 ▲復元された竪穴式住居跡が並ぶ。これまでに550棟以上が見つかり、15棟を復元。

イメージ 3 ▲後ろからみると茅葺きの屋根だけみたいに見えるなあ。中には炉があります。

イメージ 4 ▲こちらは掘立柱建物跡。地面に柱穴を掘り、そこに直接木柱を立てて屋根を支える構造。

イメージ 5 ▲遺跡中央部分でまとまって発見。どういう用途の建物だったんでしょうね。

イメージ 6 ▲中には復元されず発掘されたままにしてある遺跡も。

 なかでもひときわ大きな建物は、長さ32mの縄文中期の竪穴式住居を復元した建物。中に入ると、天井はとても高く、入口から少し低くなった位置に土間が広がります。これはかなり広い。中には炉の跡も復元してあります。集会所、共同作業所、冬期間の共同家屋などに使われていたとの説があるそうですが、はっきりとはわかっていないようです。冬期間の共同家屋だとしても、この広さとこの天井の高さでは、かなり寒かったのではないでしょうか。これぐらいの炉に火を焚いただけではとても暖を取れたとは思えない。縄文人たちは、青森に厳しい冬をどんなふうに過ごしていたのでしょう。あるいは、縄文時代の青森はそんなに寒くはなかったのでしょうか。

イメージ 7 ▲大型竪穴式住居跡を復元した建物。長さ32m、天井もかなり高いです。

イメージ 8 ▲石で囲んだ炉の跡。当時、これだけの炉で暖が取れたのか。

 そして、三内丸山遺跡で最も有名なのが、大型掘立柱建物跡。三内丸山遺跡のシンボルと言っていいでしょう。

 柱穴は6ヶ所あり、穴は直径約2m、深さ2m、穴の間隔は「縄文尺」と呼ばれる4.2mで、穴には、掘り埋めた部分を腐食防止のために焦がした直径103cmのクリの木が入っていたそうです。この柱穴の底の土の圧縮具合などを分析した結果、この建物の高さは14.7mだっただろうという結論が得られ、その結論をもとに復元されたのがこの大型掘立柱建物跡。神殿、物見やぐら、モニュメントなどの用途が考えられていますが、明らかにはなっていません。

イメージ 11 ▲これが「これぞ三内丸山遺跡!」という一枚。

イメージ 9 ▲2階、3階部分を造るのってすごくたいへんだったんでしょうね。