毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

札幌と言えば時計台(何かと大荒れ冬休み;その29)

イメージ 1 ▲札幌大通り公園のシンボル、テレビ塔。

 2015年2月14日、腹ごなし。

 サッポロビール園から中央バスの「循環88系統」サッポロビール園・ファクトリー線に乗ります。サッポロビール園から函館本線の線路の反対側に抜けて、サッポロファクトリー、大通公園、時計台、札幌駅前などをまわってサッポロビール園に戻る循環線です。

 ジンギスカンで満腹になったので、腹ごなしをしようと、大通公園バス停で下車。目の前には大通公園の東端にあるテレビ塔がよく見えます。

 11日に雪まつりが閉幕したばかりなので、大通公園の中は雪像などの取り壊しが行われていて、立ち入り禁止が多かったので、大通公園は素通りし、そのまま時計台まで歩きました。

イメージ 2 ▲札幌観光の定番中の定番スポットも今やビルの谷間の日陰の中。

 札幌の時計台、周囲に背の高いビルが建って取り囲まれ、どこから撮っても写真にビルが写り込むようになって、最近はちょっとさえない観光スポットになっているとも言われていますが、中に入ってじっくり参観すると、北海道の歴史がよくわかり、なかなかおもしろいんですね、これが。そんなわけで今回は入場してみたんですが、時計台の中に入るのはいつ以来かな~。もしかすると中学校のときの修学旅行以来かも。

イメージ 3 ▲ここまで迫れば周囲のビルはあまり入らなくなるかな~。

 札幌の時計台の正式名称は旧「札幌農学校演武場」。このあたりは1876年(明治9年)に開校した札幌農学校があった場所。初代教頭で「少年よ、大志を抱け」で有名なクラーク博士は、母校マサチューセッツ農科大学にならい、札幌農学校にも兵式訓練の授業を導入し、訓練を行うための施設を提言したのです。そこで、二代目教頭のホイーラーが作った基本構想図を基に、1878(明治11)年、演武場が完成。一階は研究室、講義室、動植物や鉱物の博物標本室、二階が「演武場」として兵式訓練や体育の授業に使われるとともに中央講堂として入学式、卒業式、催事場として使われるようになりました。これが今の時計台であります。

イメージ 5 ▲2階は「演武場」兼「中央講堂」だったスペース。広々としています。

 時計塔で時計が時刻を刻み始めたのは、1881(明治14)年8月12日。1903(明治36)年には、農学校が移転になったため、演武場は当時の札幌区が借り受け、1906(明治39)年には買い上げて、道路整備に伴って100m程南に移設したのが、今ある場所です。時計の鐘は今ももちろん鳴り続けています。昼夜分かたず毎正時、時刻の数だけ鳴るので、1日156回鳴るのだそうです。

 二階の時計塔の下に展示してあるのは、1928年製造の時計。現在稼働している塔時計と同じハワード社製で、その構造がよくわかるようになっています。

イメージ 4 ▲二階に展示されている塔時計と同じハワード社の1928年製の時計。

 うん、久しぶりの時計台、おもしろかった。

 もう一つ、ここから歩いて行ける定番スポットと言えば、北海道庁旧本庁舎。赤レンガのたいへん立派な風格ある建物です。

 道庁の庁舎や道議会議事堂がある敷地は公園のように整備されており、そのほぼ正方形な敷地の東側の入口まで来ると、正面にその赤レンガの建物を望むことができます。その手前には巨大な雪だるま。でも気温はけっこう上がってきていて、雪だるまも少々だれ気味(笑)。暖かいのは外歩きには助かりますが。

イメージ 6 ▲巨大な雪だるまの向こうに北海道庁旧本庁舎の赤レンガ。

 赤レンガの旧本庁舎が竣工したのは1888年(明治21年)。おー、かなり古いなあ。なにしろ開拓史の設置は1869年、その後の「廃使置県」を経て北海道庁が設置される「廃県置庁」が1886年だというのですから、そこには長い開拓の歴史があるんですね。

 旧本庁舎の中は無料で入ることができ、北海道開拓関係に資料展示を見学することができます。展示室、閲覧室、文書庫などを備えた北海道立文書館や、北海道の歴史ギャラリー(北海道博物館)、樺太関係資料館、赤れんが北方領土館、旧北海道庁長官室などを見て回り、開拓時代に思いをはせるのもまた感慨深いものです。

イメージ 7 ▲館内に入って開拓関係資料の展示を見学することができます。