毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

ビイルとゆふ酒(何かと大荒れ冬休み;その27)

イメージ 1 ▲札幌駅からバスでやってきましたサッポロビール園。

 2015年2月14日、やっぱヱビスだよね。

 下り急行「はまなす」を終点札幌駅で降りた僕、時間はまだ朝6時過ぎで夜も明けきっていませんが、もともと前夜に飛行機で札幌入りし、札幌駅前のホテルに投宿することになっていて、その予約はキープしたままにしていたので、まずはホテルの部屋に入って風呂に入り、温まって一眠りすることにしました。

 そして、十分温まり、寝不足も多少解消できたところで、ホテルを出発。荷物を札幌駅構内のコインロッカーに預け、駅北口から10:40発のサッポロビール園・アリオ線のバスに乗って、いざサッポロビール園へ!

イメージ 2 ▲1890年にテンサイ糖の製糖工場として建てられたレンガ造りの建物。

 バスを降りると、赤レンガの大きな建物の前に、文字が描かれたビール樽の山がお出迎え。なになに、「なふルば製……」ん?なんか意味がわからんな……あっ、なーんだ、横書きじゃなくて縦書きなのね。「麦とホップを製すればビイルとゆふ酒になる」、なるほど。これは、1876年(明治8年)にこの場所に開拓使麦酒醸造所が設立された際の開所式で建物前へ積み上げられた樽が、文字も含めて復元されたものだそうです。

 この赤レンガの建物は、1890年に製糖工場として建てられ、その後台湾での製糖業の普及に伴って日本の製糖業は衰退し、この製糖工場も解散しますが、札幌麦酒会社が1903年(明治35年)にこれを買収して増改築を行い、1963年まで製麦工場として使用されることになりました。

イメージ 3 ▲札幌麦酒が1903年にこれを買収して製麦工場に変わります。

 工場としての役目を終えたこの建物は、1967年に3階部分に「開拓使麦酒記念館」がオープンし、改修を経て、1987年7月1日に「サッポロビール博物館」として正式に開館します。これが今に至っているわけですが、ジンギスカンの方は11時30分からでまだ時間があるので、今回はこちらを少し見学してみたいと思います。

 まず3階に上がって、そこからだんだん下に下りてくるのが見学順路になってます。下に下りていくらせんのスロープの中央には、とんでもなく大きな銅製の釜には圧倒されます。これは麦汁の煮沸釜で、1965年から2003年まで実際に使われていたそうです。釜の重量は約13.5トン、容積85キロリットル、直径6.1m、高さは約10mもあるそうです。

イメージ 4 ▲巨大な煮沸釜を取り巻くようにスロープを下りていきます。

 2階には、開拓使麦酒醸造所の誕生からサッポロビール株式会社に至るまでの歴史に関する展示や、往時のビール瓶やポスター、看板なども展示されていて、妙に懐かしい気分にさせてくれます。

 ヱビスビールはいいとして、なんだか聞いたことのないビールの看板もありますね。

 「カブトビール」ってなんだ?かつて丸三麦酒が愛知の半田赤レンガ建物で製造していたのを日本麦酒鉱泉株式会社を経て、札幌麦酒も合併当事者となって加わった大日本麦酒が引き継いだブランドだそうです。

 あと、「ニッポンビール」って、ずいぶん大きく出た名前だけど、なんだいそれは?

 戦時中の1943年にビールの商標が禁止されてビールのブランド名が一時消滅し、戦後、朝日麦酒と後にサッポロビールとなる日本麦酒に分割されたて再スタートした際、日本麦酒がブランドをニッポンビールとしたことから生まれたビールらしいです。やがてサッポロビール復活の声が起き、サッポロビールブランドは1956年にまず北海道で復活したのだそうです。

イメージ 5 ▲ビールには様々な歴史がついてまわっているんですね……

 自分になじみがあるものとしてはやはりヱビスビール。今でもいちばん好きなビールはヱビスビールなのですが、戦後初の麦芽100%使用のモルト・ラガー、本当においしいであります。

 大阪麦酒(アサヒビールの前身)や札幌麦酒と合併して大日本麦酒となる前の日本麦酒の時代から作られていたのがヱビスビール。一時消滅しますが、1971年に復活し、今に至ります。当時の看板Wの見ると、ヱビスビールは「宮内省御用達」だったんですね(^^)。

イメージ 6 ▲ヱビスビールもサッポロ系列。

イメージ 7 ▲ヱビスビールもサッポロビールも「宮内省御用達」だったんですね。