毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

陶芸の村(ハノイでクリスマス!;その8)

イメージ 2 ▲手前のおっさんは急須の模様付け、その奥では湯飲み茶碗のお皿の模様付け。

 2014年12月26日、陶芸の村・バチャン。

 ロンビエンのバスターミナルから乗ったのは47番のバス。発車するとすぐに「Cầu Chương Dương(チュオンズオン橋)」で「Sông Hồng(ホン河)」を渡り、ホン河の東岸に沿って南東へ下っていきます。このバスの行き先は「Bát Tràng(バチャン)」。小一時間かけて終点まで乗り通すと、そこは陶芸の村・バチャンなのでありました。

イメージ 7 ▲こんな小路の中に陶器作りの工房が軒を連ねているんです。

 バチャン村の人口は5千人ほど。15世紀ごろから陶磁器作りが始まったと言われ、住民の約九割が陶器作りに携わり、約100軒もの工房が軒を連ねているのだとか。

 バスを降りて歩き始めるとすぐに細い路地に入ります。その小路は身長より高い塀で囲まれており、ところどころに玄関口があって、そこから中を覗き込むと、多くは陶器工房です。実際に作業をしている工房も多く、勝手に中に入っていっても何も言われないことが多いので、僕たちもさっそく工房見学です。

イメージ 1 ▲このおっさんは、既に成形された湯飲み茶碗の外側に模様を付けるという作業中。

イメージ 4 ▲急須の模様付け、ちゃんとできたかな、と。

イメージ 3 ▲小さな金属片で模様を付けるんですが、ろくろの回転が速すぎてよくわからん!

イメージ 5 ▲女性たちは湯飲み茶碗の内側に白い釉薬を塗る作業。いかにも工房!って感じ(^^)。

イメージ 6 ▲陶器の材料になる土のかたまり。

 工房の床に積んである原料の土は赤土。これを捏ねて急須や茶碗の型に入れて圧力をかけて型取りしているようです。しかし、別の工房を覗いてみたら、赤土ではなく白土(ベージュ色?)の土ばかりを使っていました。工房によって、あるいは何を作るのかによって、使う土は違うようです。

 バチャン村の陶器作りは日本との関係も深く、バチャン村の陶器は16世紀には既に日本へ輸出され、多くの茶人たちに愛用されていたのだそうです。その頃、日本からはトンボをデザインした絵柄のものが注文され、それがベトナムでも好まれるようになったので、今でもトンボ柄のものがたくさん生産されているそうです。

イメージ 8 ▲こちらの工房では白土を使って花器を生産。奥のレンガ造りは窯でしょう。

イメージ 9 ▲ろくろにはめて高速回転させた型に捏ねた土を入れてレバーを下ろすと茶碗の型がとれます。

イメージ 10 ▲土を入れて型をとったままの型がずらりと並んでいます。