毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

塩町からいよいよ福塩線。(萩の花咲く秋のニッポン旅;その38)

イメージ 1 ▲三次の次は八次。まだここは芸備線。

 2014年9月27日、吉き舎かな。

 福塩線も、福山~府中間は列車は頻繁に走っていますが、府中~三次間を走るのは1日6本。福塩線もけっこうな過疎路線なのでした。なにしろ三次発07:40の次の列車が14:43発って、間が7時間もあいてるやん……(x_x)。

 そんな福塩線に、今回ついに初乗車です。16:37発の1730Dに乗って三次駅を出発します。塩町までは芸備線を走ることになりますが、最初の駅は八次。三次は「みよし」と読むのに八次は「やつぎ」とはこれいかに。

イメージ 2 ▲塩町を発車すると芸備線と分かれて福塩線へと入っていきます。

 八次、神杉、そして塩町。ここまで、さっき備後落合から来たときも通りました。しかし塩町では1面2線の先ほどとは反対側のホームに入り、ここから先はいよいよ福塩線へと入っていきます。塩町を発車すると、芸備線の線路が進行方向左側へ離れていき、川が寄り添うようになります。この川は馬洗川(ばせんがわ)。流れは穏やかで、川べりの町並みが水鏡に映って、のどかなことこの上ありません。

イメージ 3 ▲塩町~三良坂間に寄り添う馬洗川の穏やかな流れ。

イメージ 4 ▲このあたりでも至る所にヒガンバナが。

 この日の朝に姫路を発ったときから車窓のどこかには必ず見えていると言っていいほどたくさん見かけたヒガンバナが、このあたりでも空き地や畦道、民家の庭先などで咲き誇っています。なんかほんと不思議な花ですね。

 塩町の次は三良坂、その次は吉舎。「きさ」と読みます。ちと変わった地名なのできっとスゴイ由来があるだろうと思い調べてみたところ、もともとは「私部(きさいべ)」から来ているらしいですが、承久の乱(1221年)で隠岐に流される途中に立ち寄った後鳥羽上皇が、この地のあまりの素晴しさに思わず口にした「吉(よ)き舎(やどり)かな」というお言葉を受けて「吉舎」という表記になったのだとか。うーん、深い。

イメージ 5 ▲承久の乱に由来する地名、「吉舎」。

イメージ 8 ▲ひたすらのんびりムードが漂うのどかな車内。

 車内は、ボックスシートが半分埋まって、ロングシートに座っているのは2人だけという感じ。ひたすらのんびりムードです。

 吉舎の次は備後安田。ホームは1本しか使われなくなっていますが、線路は側線としてまだ残っています。時刻は17:15、なんとなく日の光に赤みが混じり、夕焼けになりかかりつつある感じになってきました。秋の日は落ちるのが早いので、すぐに日が暮れてしまうことでしょう。

イメージ 6 ▲17:15、備後安田到着。

イメージ 7 ▲遠ざかる備後安田駅を最後部から眺めると、西の空に日は落ちかかりつつあり。