毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

消えゆく「緑皮車」

イメージ 1 ▲「緑皮車」の消えてゆくさまを伝える7月3日付香港紙「明報」。

 最近記事の更新が滞っておりまして申し訳ありません(涙)。

 僕は中国大陸を鉄道で旅行するのが大好きで、これまでのべ9万kmぐらいは乗ったんではないかと思っているのですが、テレビ朝日の長寿番組「世界の車窓から」やNHK-BSで放映されてヒットした「関口知宏の中国鉄道大紀行」などを通じて、日本国内でも中国大陸鉄道旅行に関心をお持ちの方も多いかと勝手に思い込んでおります(^^)。

 このブログでも、中国の鉄道のことは何度か取り上げて記事をUPしておりますが、今回、香港の華字紙「明報」が7月3日付のA19面で「奉仕60年、鉄道ネットワークから消えゆく『緑皮車』」と題する記事を掲載しましたので、これをご紹介しようと思います。

 「緑皮車」とは、このブログの中にもいくつか関連記事がありますが、1954年に中国に導入された、緑色の客車。当時のソ連の影響で、緑色の塗装を施されていたため「緑皮車」と呼ばれ、長い間親しまれてきました。モンゴルやベトナム、北朝鮮など共産主義を経験した国の鉄道車両はどこもみんな「緑皮車」が主流だったのではないでしょうか。

 「緑皮車」の中でも、日本で言えば普通座席車に当たる「硬座車」は、4人掛けと6人掛けのボックスシート(もちろん直角座席)が並び、窓から乗り降りしなければならないほど混み合い、この新聞記事の小見出しにもあるとおり、「混乱」「ぎゅうぎゅう詰め」「速度が遅い」が中国人全体の「緑皮車」の記憶となっています。

 しかし、中国鉄路には次々と技術革新がもたらされ、今や「高鉄」と呼ばれる新幹線タイプの高速鉄道網が全国に張り巡らされつつあります。この7月1日の大規模ダイヤ改正では、全国を走る列車の1日当たりの総数2,447対4,894本のうち、ついに半分以上が新幹線タイプになってしまいました。

 これに伴って「緑皮車」の生存空間はぐっと狭まり、とうとう地方鉄路局を跨いで走る「緑皮車」は姿を消してしまいました。この「明報」の記事は、その最後の「緑皮車」の乗車レポートになっているのです。

 最後の「緑皮車」で運行された列車は、6月27日12:30に河南省の省都鄭州の鄭州駅を発車した浙江省温州駅行き2194/2191次列車。河南省、安徽省、浙江省の3省を跨ぎ、終点の温州まで1,496kmを24時間06分かけて走ります。この日も硬座車の乗車率は120%超、寝台車である「硬臥車」「軟臥車」は満席で、古い「緑皮車」には冷房はなく、天井で扇風機がからからと回るだけの暑い道中だったそうです。

 2194/2191次列車が6月28日12:36に終点温州駅に到着したことで、「緑皮車」は一つの鉄路局管内だけを走る短距離列車で使われるだけとなりました。しかもその本数は既に非常に少なくなっていると思われます。高速鉄道に席捲されて「緑皮車」が完全に引退してしまう前に、なんとかして少なくとももう一回は乗ってみたいものです。どこのどの列車に「緑皮車」が使われているかを調べる術がないのが問題なのですが。

 なお、この最後の「緑皮車」については、「人民日報」も報じたようで、その日本語版の記事もありますので、そのサイトを紹介しておきます。中国人の汗と涙にまみれて走り続けた「緑皮車」の60年に思いをはせていただければこれさいわいですm(_ _)m。

 「中国人の記憶に残る「緑皮車」が引退」: http://j.people.com.cn/n/2014/0701/c94659-8749207.html

イメージ 2 ▲この記事の写真部分をアップ。空いているときの「緑皮車」の「硬座車」はのどかすぎ。