毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

EF81-137に牽かれて。(暖冬正月北から南まで;その22)

イメージ 2 ▲青森到着後すぐに機関車の切り離し作業が行われます。

 2014年1月6日、三つ星はブルトレのシルシ。

 約4分遅れで、寝台特急「あけぼの」は終点青森に到着しました。青森市内も少し雪が降ったようで、線路脇やホームは純白の新雪をかぶっていました。

 8号車のデッキへ先回りしていた僕は、ドアが開くやいなや、すぐに先頭の機関車へと向かいます。うかうかしていると機関車はすぐに切り離されて海の方へ引き上げて行ってしまうからです。

イメージ 1 ▲長岡から青森まで牽いてきてくれたのはEF81-137。

 トレインマークは三分の一ほどが雪に覆われ、機関車の足回りにも新雪が付着していますが、いずれも豪雪の時のそれではありません。

 機関車の前にまわって少し写真を撮ったところで、他の乗客たちがわさわさと駆け付けてきました。さすが廃止間近、ふだんの青森駅では見られないほどの人の多さです。

 EF81-137は青い客車からすぐに切り離され、数m進んでいったん停車。そしてまたすぐに、ゆっくりと海のほうへと引き上げていきます。このEF81-137にも「おつかれさま」です。「あけぼの」を牽く必要がもうなくなるとすると、EF81-137には今度はどんな出番が待っているのでしょうか。

イメージ 3 ▲ゆっくりと海側へ引き上げていくEF81-137。こっち側にはトレインマークはつけてないですね。

 機関車が去って行くと顔を出すのが最前部車両の電源荷物車カニ24。この車両で荷物を運んでいたのはいつ頃までなのでしょう。ずっと前に、荷物スペースに新聞の束がぽつんと一つか二つ置かれていたのを窓越しに見たことがあるような気がしますが……

 機関車が去ってしまうと、ファンたちは青い客車「ブルートレイン」の姿などを思い思いにカメラに納めながら、ホームを跨線橋側へと戻っていきます。廃止の日がもっと近づけばますます人数は増えるのでしょうね。

イメージ 4 ▲機関車が去ったあとの顔を出した最前部車両カニ24。

イメージ 5 ▲ファンたちが思い思いに「あけぼの」を眺めながらホームを戻ってゆく。

 僕が乗ってきた5号車はこの日はオハネ24-554が充当されていました。雪の少ない暖冬傾向とは言え、北東北の冬の深夜はさすがに冷え込みますから、車体を伝い落ちる水が凍っては溶けてを繰り返し、青い車体に張り付いて、その寒さを窺わせます。夜行列車を冬に走らせる苦労はいかほどかと、感慨深いものがあります。

イメージ 6 ▲5号車の行き先表示幕。「あけぼの」「青森」の文字、僕はもうこれが見納め。

イメージ 7 ▲冷え込むひと夜を走り続けて車体に氷を張り付けたオハネ24-554。

 かつて、「あけぼの」の行き先表示幕には「青森」の下に「奥羽線経由」という文字が入ったものがありました(2008年3月18日に乗車したときの記事はコチラ)。あの行き先表示幕はもう残っていないのでしょうか。福島から青森まで奥羽本線を縦走するのが「あけぼの」本来の姿だったのに。

 客車の中には扉が引き戸になったものも多いですが、折り戸が本来の姿で、折り戸のままの車両もあります。4号車が折り戸車両でした。折り戸の上に「B寝台」の文字、そして三つ星マーク。これを見ただけで、夜行列車に乗る楽しみがわいてきてワクワクしたものです。

イメージ 8 ▲この日の4号車は折り戸の車両オハネフ25-117でした。三つ星がブルトレならでは。