毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

新雪を蹴立てて「あけぼの」がゆく(暖冬正月北から南まで;その21)

イメージ 8 ▲長駆776.2kmを走り終えて終点青森駅5番線ホームに滑り込んだ寝台特急「あけぼの」。

 2014年1月6日、矢立峠を越えて青森県へ。

 象潟に到着したのを窓の外に見て、再び寝入った僕は、秋田駅到着前に流れるおはよう放送もうわの空に、次に窓の外を見たのは、大館に到着したとき。

 大館の所定到着時刻は08:32。実際には08:36には着いたので、象潟到着時よりも遅れは回復したようです。秋田での停車時間を切り詰めたのでしょう。

イメージ 1 ▲約4分ほどの遅れで大館に到着。向かいのホームには盛岡行きの1928D。

 向かい側のホームにはキハ110形でしょうか、08:38発の盛岡行き普通列車1928Dが停まっています。「あけぼの」からの乗り継ぎの便は抜群です。花輪線にも久しく乗ってないな……なんたって前回乗ったのはまだキハ110形が入る前だったからな……

 大館駅のホームの柱には「あけぼの号の立席車はこちらへお進みください」という案内と黄色い矢印が。「あけぼの」のヒルネ開放は羽後本荘から始まっていますが、羽後本荘から大館までは2号車と3号車、大館からは4号車も開放され、通勤通学の足になっています。

イメージ 2 ▲青森・秋田県境の矢立峠越はかなりの山中区間。

イメージ 3 ▲青森県に入って最初の停車駅は碇ヶ関駅。新雪が青空にまぶしく映えます。

 大館を3分遅れほどで発車すると、「あけぼの」は青森・秋田県境に横たわる奥羽本線の難所区間へと挑んでいきます。それは県境に跨がる矢立峠越え。今でこそ陣場~津軽湯の沢間の全長3,180mの矢立トンネルで列車は楽々と走っていきますが、昔の旧線当時はデゴイチ三重連などで越えていた奥羽本線きっての難所だったそうです。

 雪晴れの青空の下、新雪を蹴散らせて矢立峠を越えて、「あけぼの」は青森県に突入します。青森県に入って最初の停車駅は碇ヶ関。そしてその次は大鰐温泉。朝の日差しがまぶしいぜ。

イメージ 4 ▲09:06、3分遅れで大鰐温泉到着。からりと晴れ上がった朝日がまぶしい。

イメージ 5 ▲大鰐温泉駅を出てすぐ、「見つめないで」みたいな名前の「三ツ目内川」を渡る。

 弘前、新青森と停まれば、次はとうとう終点青森。「あけぼの」を降りなければならない時間が刻々と近づいてきます。

 終点青森に近づく「あけぼの」の様子は、このブログでいったい何度ご紹介したでしょうか。新青森駅を発車し、しばらく直線区間を行くと右へ少しカーブ、このとき左側に青森車両センターが見え、津軽線(海峡線)の線路が左から近づいてきて合流します。沖舘川と西滝川を立て続けに渡りますが、ここから僕の実家までは直線距離で200mといったところ(^^)。

 この頃から僕は移動開始。8号車のデッキまで前進します。最前部の客車は8号車「ゴロンとシート」。8号車はオハネフ24なので、7号車との連結部分に貫通扉があり、「あけぼの」のトレインマークを間近に見ることができます。

イメージ 6 ▲7号車と8号車の連結部分ではトレインマークが間近に。

イメージ 7 ▲一番前の客車は8号車「ゴロンとシート」。あまり利用する機会がなかった車両です。

 僕が子どもの頃に通った工藤小児科がある踏切を越えると「あけぼの」はぐっと速度を落として左へ大カーブ。左側には我が母校千刈小学校です。右側から青い森鉄道(旧東北本線)の線路が近づいてきて古川跨線橋の下で合流すれば、あとは突き当たりまで走るだけ。

 そして09:56、定刻から4分遅れで、寝台特急「あけぼの」は新雪がうっすらと積もる終点青森駅5番線に到着しました。ドアが開くなり、急いで先頭へ走って、赤い牽引機をカメラに納めます。長岡から牽引を担当したのはこの日はEF81-137でした。

 「あけぼの」を降りた大勢のファンたちが機関車の周りに集まってきます。ファンに囲まれたEF81-137から少し離れたところで、僕はこっそり「おつかれさま」と「あけぼの」に声をかけました。これが僕の「あけぼの」と一緒に過ごした最後の一日。ありがとう、本当にお世話になりました。おつかれさまでした。もうそんな言葉しか思い浮かばない。

イメージ 9 ▲終点青森駅に到着するや、たくさんのファンに囲まれるEF81-137。