泉のまち・済南
▲泉の中に立てられた天下第一泉「趵突泉」の碑。
2013年11月16日、楊柳そよぐ。
済南へは山東航空が関空から直行便を飛ばしてはいますが、済南っていったいどこよ?という方のほうが多いことでしょう。山東省なら青島、孔子のふるさと曲阜、そして泰山といったところが有名で、省都・済南は影が薄いですからねえ。
▲「趵突泉」が湧く趵突泉公園の正門入口。
そんな地味な済南、少し名の知れているものがあるとしたらそれは、済南は泉のまちだということでしょうか。
南側に泰山が横たわり、北側を東西に流れる黄河に遮られるという地理的条件で、済南には多くの泉が湧いていることから、済南は昔から「泉城」と称されています。そして市内には主立った泉が72あるとされ、これを「済南七十二名泉」といいます。
その中で最も有名なのが、「趵突泉(ほうとつせん)」。中国春秋時代を記述した歴史書「春秋」にも登場するそうですから、そうとう古くから湧いていた泉です。その「趵突泉」の泉群から湧く泉が点在する場所をまとめて「趵突泉公園」になっていますので、そこへ入ってみます。
▲「趵突泉公園」内は菊祭り開催中。時代劇のワンシーンを再現したよう。
旧暦の重陽節の頃は、日本でも各地で菊祭りが開かれますが、中国は重陽節の本家本元ですから(^^)、ここ「趵突泉公園」でも菊祭りはしっかり開催中。きれいな人形を配置して、歴史のワンシーンを再現しているのが多いです。ただ、さすがにもう11月も下旬にさしかかっているので気温は低く、菊ももうそろそろ終わりかなという感じです。
僕が行ったのは朝9時半頃ですが、園内は早くも大勢の人出で賑わっていました。老若男女問わず、思い思いに公園の中をそぞろ歩いています。中国では公園が市民にとっていちばん身近で重要な憩いの場なのです。
園内をぶらぶらと歩いていたら行き当たったのが「李清照記念堂」。李清照は、1084年に斉州章丘(現在の山東省済南市下の章丘市)に生まれた北宋末期・南宋初期の詩人。中国史を代表する女流詞人として知られているとのことですが、知らなかった!日本では漢詩、唐詩は学ぶことはあっても、宋詞を学ぶことは少ないもんなあ。
さらにそぞろ歩きますと、なにやら立派な石碑が。表面には大きく漢字二文字が刻まれていますが、うーん、なんか読めんなあ。「激湍」ですかね。ちょっと「激」の字体が違うようにも見えますが、「激流」という意味です。清の康煕帝が済南に遊ばされたとき、その素晴らしさに感動してこの二文字を送り、「趵突泉」を「天下第一泉」とされたのだそうです。
▲清の康煕帝が賜った「激湍」の文字。ただしこの石碑はレプリカ。
この石碑のそばに、「天下第一泉」たる「趵突泉」があるのです。とても大きな泉で、澄み切った清水がこんこんと湧き出ています。
もとは北宋時代の建築物であったのを、1461年の明の英宗(天順帝)のときに欽差大臣が遣わされて、泉を眺めるためのあずまやを改めて作ったのを「観瀾亭」といい、この日はこの観瀾亭にも菊の花がたっぷりと飾られていましたが、この観瀾亭の前の泉の底に湧出口が3つあり、良質な水が大量に湧き出しているのをはっきりと見ることができます。夏だともっと勢いよく湧くけれど、冬だとまあこのぐらいだとのこと。これでもけっこう勢いがあるように見えますが。
▲菊の花で飾られた「観瀾亭」と「趵突泉」。
▲こんこんと湧き出る澄んだ清水。
「観瀾亭」のすぐ裏手の建物の中では、「趵突泉」の泉の水で淹れたお茶を飲むことができます。普通のガラスのコップにお茶っ葉が入っていて、涌かしたお湯のポットが出てくるだけで、茶器などへのこだわりは微塵もありませんが(^^ゞ、泉の水で本場中国の緑茶をいただきます。良い香りが立って、のんびりおしゃべりでもしながら、いつまででもお茶を飲んでいられそうです。
公園の中に点在するいくつもの泉も良いですが、遊歩道を覆うように植えられた楊柳の樹もみごとです。背の高い楊柳の樹にしだれるすだれのような枝が風にそよぐさまはまさに中国ならでは。春にここを訪れれば、もっとすばらしい楊柳のなびく姿が見られることでしょう。
▲「観瀾亭」の向かい側の建物。両脇の楊柳がみごと。
▲趵突泉の泉の水でお茶を飲むこともできます。茶葉はもちろん緑茶です。