毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

常紋峠を越えて。(石北本線各駅停車;その22)

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818181539.jpg ▲4662D、かつての常呂郡紋別郡を結ぶ常紋峠を越えて終点遠軽に到着。

 2013年7月31日、転車台。

 西留辺蘂を発車するとまもなく、列車は右へカーブを切って留辺蘂町のいわば町内を抜け、人里離れた山道へと入っていくと、西留辺蘂から3.5kmで金華に到着です。

 金華駅の周囲は鬱蒼と草木が茂り、それが林へ森へと連なっていて、とても周辺に生活圏があるようには見えませんが、駅近くに人家はあるのでしょうか。

 こんな辺鄙なところにある駅なのに、なぜか金華を始発・終着とする列車が運行されているのが不思議。運行区間が金華~網走の列車が1日に3本もある。これは、釧網本線で網走側から緑止まりの列車が設定されているのと同じ理屈で、金華と次の生田原との駅間が長く、生活圏が北見圏と遠軽圏に分かれていて人の往来がそもそも少ないので、網走側からは金華止まりの列車が設定されているということなのでしょうね。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818181453.jpg ▲周辺に住んでいる人はいるのか、金華駅

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818181458.jpg ▲金華では遠軽発網走行き4665Dと交換。

 金華では8分停車。草木のそよぐ音と気動車のエンジンがアイドリングする音しか聞こえてこない中でしばらく待っていると、やがて前方からJR北海道色のキハ40が近づいてきました。遠軽始発の網走行き普通列車4665Dです。車両はキハ40-834の単行です。

 4665Dの到着を待って、我が4662Dは14:17に発車です。

 次の生田原までは15.0km、所要19分です。途中、常紋信号場跡を通り、常紋トンネルを抜けて行きます。

 金華から4.7kmで常紋信号場。スイッチバック式で側線に入って列車交換する構造で、分岐部分はスノーシェルターに覆われています。2001年以降、ここでの列車交換は行われなくなったので、交換設備は朽ちるに任せているかもしれませんが、スノーシェルターはしっかりと残っています。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818181503.jpg ▲側線側に口を開けた立派なシェルターが見えてきた常紋信号場跡。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818181508.jpg ▲こちらは本線を覆うスノーシェルターに突入。これを抜けると常紋トンネル。

 スノーシェルターの中でいくつものポイントを通過しつつ本線を進み、シェルターを抜けると、すぐに常紋トンネルの入口があり、列車は常紋トンネルに突入します。

 あまりにも有名なのでここで改めてご紹介するまでもないかとは思いますが、簡単に触れておきますと、常紋トンネルは全長507mで、1914年(大正3年)に開通。当時としては工期が長く、相当の難工事であったことが窺えます。この工事には、「タコ部屋労働」と呼ばれる、囚人や詐欺まがいの人足募集で連れてこられた労働者を拘束し、非人道的環境で過酷な肉体労働を強いるというやり方で進められたそうです。重労働、厳寒な気候、栄養不足などで労働者は次々と倒れ、倒れた労働者は治療も受けられずに現場近く埋められ、逃亡を図った労働者は凄惨なリンチに遭ったと言います。常紋トンネルが開通するまでにどれほどの労働者が犠牲になったのか知りませんが、1980年(昭和55年)には金華駅近くの金華小学校跡地に「常紋トンネル工事殉難者追悼碑」が建てられたそうです。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818181513.jpg ▲網走から2時間43分で終点遠軽に到着。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818181520.jpg遠軽は行き止まりの駅。

 常紋信号場から更に10.3km行くと生田原。その次の生野は通過し、その次の安国に停車すると、終点・遠軽到着です。網走からの所要時間は2時間43分です。

 遠軽駅は、石北本線という本線上にありながら、行き止まりの駅で、遠軽から先へ行くには進行方向を逆にしなければなりません。旭川からの線路も網走からの線路も南側から北へ上がってきて、遠軽駅にぶるかるような線形で(旧東北本線奥羽本線青森駅にぶつかる形にそっくり。)、まるでその先へ線路がのびていたかのようです。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818181544.jpg ▲線路はこの奥で途切れますが、かつては名寄本線がのびていたんですね。
 
 これは、旭川から北見へ向かうには、旭川-名寄-紋別-中湧別-遠軽-北見というルートが先に建設、開通し(1921年)、旭川から当麻、丸瀬布、白滝を経由して遠軽に至る現在の石北本線ルートが1932年になってから開通し、紋別、中湧別方面と北見方面を結んでいた遠軽駅にあとから付け足すように線路がつながったためです。1989年に名寄本線が廃止になるまでは、石北本線旭川方と名寄本線を直通する列車は遠軽で進行方向を変える必要はなかったわけですね。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818181531.jpg ▲後ろに見えるは瞰望岩。

 遠軽駅で降りるのは2007年2月以来約6年半ぶり(そのときの記事はコチラ)。跨線橋の上からの眺めは、前回は一面の雪景色でしたが、今回は緑が広がっています。駅後方には、遠軽町のシンボル「瞰望岩」がばっちり見えています。

 それと、今回初めて気がついたのは、遠軽駅の構内には転車台が残っているんですね。今はもう線路もつながっておらず、朽ちるに任せているようですが、列車の進行方向が変わる遠軽駅のこと、転車台は不可欠最重要の設備だったのでしょうね。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818181526.jpg ▲かつては大活躍したであろう転車台が駅構内に残っています。