毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

「日本海」から眺める日本海。(酷暑の夏休み帰省レポ・その40)

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818170549.jpg ▲臨時寝台特急日本海」で目が覚めると、車窓には青々とした庄内平野

 2012年8月18日、羽越本線北上。

 前夜福井から乗った臨時寝台特急日本海」は加賀温泉、金沢、高岡、富山、魚津、糸魚川直江津と停まってJR東日本管内に入り、新津、鶴岡と停車していきます。鶴岡からは、東京ディズニーリゾート向け団臨「わくわくドリーム号」のスジとほぼ同じ時刻で終点青森を目指します。

 ふと目を覚ますと朝7時過ぎ。鶴岡を発車したあとのようです。寝台のカーテンを開けると車窓の外には気持ちの良い青空が広がっていて、青々とした水田が続いています。庄内平野のまっただ中を走行中です。

 そして07:34、酒田到着。4分停車。改札口から直接続く1番線ホームの屋根には「粋な文化に出会う街 ようこそ湊・酒田へ」という歓迎横断幕が張られています。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818170555.jpg ▲07:34、酒田到着。停車時間は4分。

 酒田を発車した「日本海」は、吹浦を過ぎると再び海べりに出て、車窓いっぱいに日本海が広がります。寝台特急日本海」が1日2往復走っていた2008年3月のダイヤ改正までは、「日本海3号」は今の臨時「日本海」と似たダイヤで走っていたので、「日本海3号」の車窓からは日本海をよく眺めることができましたが、1日1往復となってからは「日本海1号」のほうのダイヤが残ったので、日の出の早い夏なら羽後本荘のあたりでなんとか日本海が見られるかどうかという程度になってしまっていました。

 それが、臨時「日本海」では、再び車窓からたっぷり日本海が楽しめるダイヤとなり、特に夏なら村上を過ぎればもう日本海が見えるような時間帯を走るようになったので、定期運行の廃止は残念ですが、臨時列車になったことで「日本海」という愛称にますますふさわしい列車になったというわけです。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818170601.jpg ▲「日本海」の車窓から日本海。女鹿、小砂川あたりの海岸線。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818170606.jpg ▲海岸線の高台ぎりぎりまで水田が広がり、その向こうに日本海

 上浜で運転停車。臨時列車なので、特に単線区間の多い羽越本線奥羽本線では、特急といえども優先的には進んで行けず、交換待ちの運転停車がしょっちゅうあります。上浜では08:09発の東能代始発酒田行き普通列車1622M/530Mと交換したのではないかと思われるのですが、記憶が定かではありません。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818170614.jpg上浜駅で交換待ちの運転停車

 上浜駅を出ると次は象潟駅を通過します。象潟と言えば松尾芭蕉。1689年、「奥の細道」の旅で象潟にやってきた芭蕉が詠んだ「象潟や 雨に西施が ねぶの花」はつとに有名。

 また、象潟は、「象潟八十八潟九十九島」と呼ばれるように昔は入り江状の潟に大小の島々が浮かんでいたのが、1804年の象潟大地震で地盤が2.4mも隆起したため、水田の中にかつての島々が小山として残る不思議な景観に変わりました。走行中の「日本海」の車中からは写真はうまく撮れませんでしたが、象潟の奇観を車窓に眺めながらさらに進めば、列車はまもなく羽後本荘に到着します(2007年夏に快速「きらきらうえつ」で訪れた象潟の旅レポはコチラ。)。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818170620.jpg ▲象潟付近。水田の中に松の木の茂る小島があるのが隆起した部分。わかるかな。

 羽後本荘を出発し、桂根を過ぎれば車窓は海べりから別れを告げて、秋田を経て徐々に内陸路線へと移っていきます。秋田、東能代鷹ノ巣、大館、大鰐温泉弘前と、乗り慣れた風景が続きます。

 僕の前の寝台は、大阪から乗車した親子連れ。お父さんが中学生の息子さんを連れて二人旅とのこと。お父さんのほうは鉄道ファンらしく、停車駅をこまめにチェックしながらほとんど寝ずに一夜を明かしたようですが、息子さんのほうはそちら方面にはとんと関心がない様子。「日本海」を青森まで完乗したあとは新幹線で八戸、八戸から八戸線で久慈と抜けて、翌日はレンタカーで被災地を見て回られるとのこと。息子さんにとっても良い社会勉強になると思います。じっくり見て考えていってくださいね!

 などと話がはずんだところで、11:57、弘前到着。車内はだいぶ空きました。弘前を出発し、川部を過ぎると、北東北青森にも広がる夏の青空の下に津軽富士・岩木山が見えてきます。あー、残念ながら今回も岩木山には雲がかかって、全貌を見ることはできませんでした。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818170544.jpg ▲真夏の津軽平野、広がる水田の向こうに津軽富士・岩木山