毎日ヶ原新聞

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端午節は台風4号とともに(その14;レトロな弘前)

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819021743.jpg1906年建造の「旧弘前市立図書館」。ルネサンス風で図書館らしく採光の窓が多い。

 2012年6月23日、城下町・弘前

 前日に祭り期間中でもないのに「ねぶた」を堪能した青森市を離れ、この日は弘前市へ向かいました。

 まずやってきたのは、国指定重要文化財長勝寺」。僕は自分が南部地方生まれのせいか津軽地方には非常に疎く、弘前なんてろくに来たことがありません。長勝寺なんて小学校のときの社会科見学で来て以来でしょうか。

 津軽藩の拠点だった弘前の町並みは城下町そのもので、弘前城址の南側には禅林街が残り、東西にまっすぐのびる気持ちの良い街道の両側には今も33の寺院が建ち並んでいます。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819021710.jpg ▲気持ちよくまっすぐのびた弘前の禅林街。

 この禅林街の西の突き当たりにあるのが長勝寺曹洞宗の寺院で山号は太平山。
津軽藩菩提寺で、享禄元年(1528年)に今の鯵ヶ沢に建立されましたが、慶長15年(1610年)、弘前城築城と同時に南西のおさえとして現在地へ移転しました。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819021738.jpg ▲三門前から禅林街をまっすぐ見通します。

 重要文化財に指定されているのは、本堂、庫裏、長勝寺三門、長勝寺御影堂、厨子及び須弥壇1具、津軽家霊屋、環月臺、碧巖臺、明鏡臺、白雲臺、そして凌雲臺。とりわけ寛永6年(1629年)に建立された「三門」は見事。「三解脱門」の略で、修行の妨げになる心身の汚れである貪欲、愚痴などを脱する門と伝えられています。扁額には「太平山」と書かれていますね。ただ、我々が行ったときは境内を大改修中で中には入れず、「三門」をくぐるだけで参拝を終えました。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819021729.jpg ▲1629年建立の「三解脱門」。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819021734.jpg ▲三門の扁額には山号である「太平山」の文字。

 弘前には、城下町らしいこうした古い寺院がたくさんありますが、レトロな洋風建築も数多く残っています。あとからできた新しい町である青森市が県庁所在地になるまでは、津軽藩時代から一貫して弘前が政治、経済、文化、教育の中心地だったからでしょうね。県内唯一の国立大学があるのも弘前ですからね。

 僕はそんなわけで弘前のレトロ建築もほとんど見たことがないのでこの日は友人たちに便乗して一緒にいくつか見て回ることにしました。

 まずは「旧弘前市立図書館」。明治39年(1906年)、市の文化発展のため、斎藤主や堀江佐吉らの手により建てられ寄贈された建造物だそうです。昭和6年(1931年)まで図書館として利用され、その後昭和62年(1987年)まで下宿や喫茶店として払い下げられていましたが、市制施行100周年を記念して現在の弘前城址南側追手門広場に移築されました。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819021747.jpg ▲入口に掲げられた看板。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819021800.jpg ▲壁は白いしっくい塗りですが、縁取りの木材の薄いグリーンがいいですね。

 建造物としては、ルネサンス風の意匠を基調とした木造3階建て。左右両端に配置された八角形3階建ての塔が特徴的です。建物全体に窓が多く配置され、正面中央には採光のためのドーマー窓を設けるなど、図書館としての機能にも配慮された設計になっています。現在は無料で開放されており、館内を自由に参観することができます。様々な資料の展示もあって勉強になります。こんな落ち着いた建物の中でゆっくりと読書をするというのはきっと至福だろうなあ。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819021756.jpg ▲こういう雰囲気の図書館で読書したらきっとシアワセ。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819021751.jpg ▲資料の展示もあり、いろいろ勉強になります。

 旧市立図書館が移設され開放されているのは追手門広場という一つの観光スポットで、市立観光館なども隣接していて、弘前観光の拠点にするのに最適。

 その追手門広場の旧市立図書館の裏手には「旧東奥義塾外人教師館」があります。県内で最初に開校した私学校である東奥義塾が指導の強化のために招いた外人宣教師のために建てられた宣教師館でで、明治33年(1900年)に米メソジスト・ミッションボードで設計された西洋館で、白色の下見板壁と窓枠・付柱などのオリーブグリーンとのコントラストやレンガ積みの基礎や煙突が特徴。現在は喫茶店になっているようですね。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819021805.jpg ▲旧市立図書館の裏手には旧東奥義塾外人教師館。

 この旧教師館の並びには、弘前市内にある和洋問わずレトロ建築のミニチュアがずらりと並んでいることを発見。実物を見に行かなくても、ここに来れば実際に見に行った気になれてしまうほどなかなかリアルに造られていておもしろいです。いやでも、弘前にはこんなにたくさんレトロな建築物が残っているんですね。今までほとんど知らなかったけど、これはそのうちゆっくり時間をかけて探訪したくなりますね。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819021719.jpg ▲本物の旧教師館の前にミニチュアの弘前昇天教会。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819021714.jpg ▲本物とミニチュアの区別がつかなくなりそう。手前はカトリック弘前教会。

 それではこの日のランチの場所へと徒歩で移動しましょう。

 追手門広場と弘前城址のお堀との間にある追手門通りを東へ突き抜けて進むと、右手にこれまたどっしりとした建物が見えてきます。「旧第五十九銀行(青森銀行記念館)」です。

 青森銀行の母体となった旧第五十九国立銀行本店本館として明治37年(1904年)に建築されたもので、ルネッサンス調の洋風建築を守りながら、防火のために日本の土蔵造りを取り入れるなど、和洋折衷の建物。設計者は、太宰治の生家「斜陽館」の設計もした当時の洋風建築の第一人者・堀江佐吉。こんなレトロな銀行なんて、ちょっと上海のバンドを彷彿とさせるなあ。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819021723.jpg ▲旧第五十九銀行(青森銀行記念館)。屋根のあたりとか確かに和洋折衷っぽい。