毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

難攻不落の城(ニッポンの秋を探して・その30)

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818152820.jpg ▲「大人の休日」だったかな、のポスターにも登場したみごとな石垣とくじゅう連山。

 2011年11月7日、紅葉の岡城址。

 竹田の岡城を散策しています。

 太鼓櫓門跡から内側に入ると三の丸。ここから城の中枢部に入るわけです。三の丸には使者の間、小姓の詰所などと30畳の広間が存在していたことが知られており、藩主の執務が中心的に行われる曲輪であったろうと考えられています。

 ここから見える三の丸高石垣は本当にみごとです。この高垣の目の前は清水谷、その後方は地獄谷と呼ばれ、深い森林がはるか遠くくじゅう連山まで連なっています。色づき始めた木々も混じるその深山幽谷の風景はまさに雄大。いつまでも眺めていたくなる風景です。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818152832.jpg ▲三の丸高石垣から見渡すくじゅう連山。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818152827.jpg ▲三の丸の目の前は清水谷。そろそろ木々が色づきはじめ。

 竹田の岡城と言えば忘れてならないのが滝廉太郎。

 「荒城の月」を作曲した瀧廉太郎は、12歳から15歳までの少年時代を竹田で過ごました。その頃の廉太郎少年は、よくこの岡城址に遊びに来ていたそうです。「荒城の月」はその頃の岡城址のイメージがモチーフとなって作曲されたのですね。

 そんな縁があって、三の丸跡から続く二の丸跡には、滝廉太郎の銅像が建っています。この2日前に大分市内大分県庁脇の遊歩公園内にある「史蹟滝廉太郎終焉之地」でも滝廉太郎の銅像を見ましたが、どちらも同じポーズのようです。「終焉の地」のほうの銅像は「東洋のロダン」と称された明治~昭和期の彫刻家朝倉文夫の製作ですが、岡城址のほうも同じなのでしょうね。近くには燃えるように真っ赤に染まったモミジの木が晩秋の到来を廉太郎に告げているようでした。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818152847.jpg ▲二の丸跡には滝廉太郎の銅像。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818152837.jpg ▲大分市内「史蹟滝廉太郎終焉之地」にある銅像と同じポーズなんですね。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818152842.jpg ▲廉太郎像のそばには真っ赤に燃えるモミジの木が。

 廉太郎像のある二の丸跡から続く南側の一帯が本丸跡です。今や建物の類は何も残っていませんが、本丸には天守にあたる三重櫓や御金倉、藩主の居所などの殿舎があったそうです。今は「本丸址」と記した石柱を建ててあるだけで、これがなければここがかつて岡城のなんだったのかを知る手がかりはまったくありません。

 ここには土井晩翠の「荒城の月」の詩碑があります。土井晩翠の直筆を刻んだもので、二番の「秋陣営の霜の色」の「霜の色」の部分が「夜半の霜」となっています。竹田市によれば「時と場所によって発露される詩人の詩情によって書かれたもの」とのこと。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818152901.jpg ▲本丸址であることを示す石柱。これがなければ岡城のどこなのかわからない。

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                ▲土井晩翠「荒城の月」詩碑。

 土井晩翠詩碑の側には緑濃い樹木が茂り、その陰に隠れるように「岡城天満神社」の小さなお社があります。14世紀の志賀氏の頃、このあたりは「天神山」と呼ばれ、天神祠が祀られていたところ、志賀氏の城の拡張によってこの場所が本丸になると社殿を新築するなどして続いてきたのがこの神社だそうです。難攻不落の城としてその名が知れ渡った岡城だけに、「落ちない」ことから合格祈願に訪れる受験生も多いとか。天満神社ですから祭神はもちろん菅原道真ですね。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818152856.jpg ▲土井晩翠詩碑の隣には木立に隠れるように岡城天満神社。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818152851.jpg ▲難攻不落の岡城にあやかって「落ちない」ように参拝する受験生が多いとか。