A380で行く魅惑の香港・マカオ3泊4日(その18;セナド広場)
▲セナド広場を示す地名標識。
2012年3月19日、まるで中世のヨーロッパ。
聖ポール天主堂跡から続く細い小路を気ままに歩いて来ると、セナド広場に出ます。ポルトガル語で「LARGO DO SENADO」、中国語では「議事亭前地」。古くからの街の中心で、マカオを代表する広場。ここから天主堂跡までは歩行者天国なので、車を気にすることなく散策が楽しめます。広場は石畳になっていますが、これは「カルサーダス」といい、1990年代前半にポルトガル本国から敷石職人を呼んでこのモザイク状の石畳を作らせたのだそうです。
セナド広場。
北側から見た広場。
天主堂跡からこのセナド広場にかけても、いくつかの歴史的建造物を見ることができます。
聖ドミンゴ教会は、メキシコのアカプルコから来たドミニコ会スペイン人修道士3人が1587年に建てた簡素な礼拝所が始まりで、その後1828年に現在の建物に再建されました。祭壇には「バラの聖母像」と呼ばれる聖母マリア像を祀っていることから、中国語ではこの教会を「玫瑰堂(バラの教会)」と呼んでいます。
聖ドミンゴ教会。
セナド広場の道路を隔てて南側にあるのが「民政総署」。ま、役場ですね。正面中央の屋根の上にはポールが立ち、マカオ特別行政区の緑色の旗がはためいています。
最初に事務所が建てられたのは16世紀末ですが、今のこの南欧スタイルになったのは1784年。白を基調にしたネオクラシック様式の建物は、壁、レイアウト、内装、裏庭などが皆当時のまま残されているそうです。この建物のポルトガル語の名称は「レアル・セナド」ビルディングといい、その意味は「忠実な評議会」その前にある広場だからこの広場は「セナド広場」というのでしょう。
民政総署は今も現役。
民政総署と同じくバス通りに面して建つ石造りのひときわレトロな建物、時計台までありますが、これはなんでしょう。建物の由来はわかりませんが、ここは「郵政総署(General Post Office)」、今も現役の中央郵便局です。セナド広場を取り囲む様々な建物の多くがパステルカラーを基調にした明るい色合いのヨーロッパ風の趣であるのに対して、この中央郵便局だけがなぜか石の肌合いが剥き出しの重厚な造り。庇や窓枠、石柱などに施された彫刻には目を奪われます。
重厚な建物の中央郵便局。
ヨーロピアンな雰囲気たっぷりのセナド広場に面した一角に、黒を基調にしたウッディな造りのシブイ店構えを発見。「黄枝記」という黄金文字の立派な看板が掛かっています。
ここはマカオでは極めて有名な麺とお粥のお店。創業1946年の老舗麺粥屋のセナド広場店で、竹を使った独自の麺作りで知られているのだとか。確か香港にもお店があったと思うのですが、雲呑麺好きの僕としてはぜひとも立ち寄ってみたかった。これもまた次回必ず。
アンティークな店構え。
セナド広場でもう一つ忘れてはならないのが「仁慈堂」。ポルトガル語で「SANTA CASA DA MISERICORDIA」と緑色の文字で記された白堊のコロニアル様式の建物は、初代マカオ司教ドン・ベルキオール・カルネイロが1569年にアジア初の慈善福祉施設として設立したもので、西洋医療を取り入れた病院や孤児院、養老院も併設されていたそうです。カルネイロ司教は布教のため日本を訪れたこともあるのだとか。今は一階は公証役場、二階は「仁慈堂博物館」になっています。
セナド広場でもう一つ忘れてはならないのが「仁慈堂」。ポルトガル語で「SANTA CASA DA MISERICORDIA」と緑色の文字で記された白堊のコロニアル様式の建物は、初代マカオ司教ドン・ベルキオール・カルネイロが1569年にアジア初の慈善福祉施設として設立したもので、西洋医療を取り入れた病院や孤児院、養老院も併設されていたそうです。カルネイロ司教は布教のため日本を訪れたこともあるのだとか。今は一階は公証役場、二階は「仁慈堂博物館」になっています。
▲美しく明るい白堊の建物は「仁慈堂」。