毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

A380で行く魅惑の香港・マカオ3泊4日(その17;聖ポール天主堂)

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818161525.jpg ▲17世紀に建てられた聖ポール天主堂は今はファサードが残るのみ。

 2012年3月19日、マカオ世界遺産

 マカオタワーを眺めたあとは、次なる定番へ向かいます。民國大馬路から路線バスに乗ってそちら方面へ。しかし、マカオの街は狭い街道が縦横に入り組んでいて、すぐにどこを走っているかわからなくなってしまいます。なんとなくこのへんかなーと思ったところでバスを降り、だいたいあっちのほうかなーと思った方向へ歩くことしばし、やってきたのは「聖ポール天主堂跡」。世界遺産です。広場の奥の幅の広い大階段の上に壮麗なファザードが見えてきます。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818161547.jpg 階段の上に天主堂跡。

 聖ボール天主堂は1637年に建てられ、当時はマカオキリスト教布教の中心。設計はイタリア人修道士スピノラで、建設には中国人の他、長崎から幕府の弾圧を逃れて渡ってきた多くの日本人キリスト教徒も携わったそうです。完成当時は「ローマ以東で最も傑出した教会」と称されたとか。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818161535.jpg 日本人も建設に携わる。

 この天主堂の東側には1609年に建てられた東洋初のキリスト教大学「聖ポール学院」があり、明代に北京へ行って天文学や数学を教えたマテオ・リッチなどの宣教師を多数輩出しました。

 しかし、1762年のイエズス会放逐後、この大学は兵舎へと変わり、1835年、この兵舎から出火した火事により、天主堂の本体が焼け落ち、現在のファサードのみの姿になってしまいます。

 焼け残ったこのファサードには、キリスト少年像、ザビエル像の他、当時日本人が書いたを言われる漢字も刻まれているそうです。壁面しか残っていませんが、その素晴らしい彫刻には時を忘れて見入ってしまいます。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818161539.jpg 素晴らしい彫刻の数々。

 マカオを訪れる観光客のほぼすべてがこの天主堂跡を見にやってくると言っても過言ではないので、とにかく多くの人で混雑しています。そして全員がこのファサードと記念写真を撮るので、それらを避けてファサードの写真を撮るのは一苦労。

 このファサードが見下ろす階段の下からは細い小路が延びていて、その両脇にはおみやげ屋さんがぎっしり並んでいます。西洋風の建物が軒を連ねて、ここもとてもアジアにいるとは思えない雰囲気。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818161529.jpg 階段を見下ろしてみる。

 ずらりと並ぶおみやげ屋さんを見てみると、マカオのおみやげのメインは「杏仁餅(アーモンドクッキー)」と干し肉がトップツーのようです。ひととおりこの小路を歩くと、この2種類のおみやげの試食でおなかがいっぱいになってしまいそうです。僕はここの干し肉がけっこう好きです。甘じょっぱい蜜がからめられていてしっとりと柔らかく、ビールが欲しくなります(実際にコンビニで缶ビール買って飲んじゃいましたが。)。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818161553.jpg ▲天主堂跡から続く細い小路は西洋風の建物が軒を迫らせ、土産物屋がずらりとひしめきあう。