毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

ニッポンの秋を探して(その9;以後良く伝わるキリスト教)

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818151428.jpg ▲アナタが大分にもいらしていたとは存じ上げませんでした。

 2011年11月5日、1549年と言えば?

 特急「ソニック23号」を終点大分駅で降りて、改札を出たら大分駅開業100周年記念イベントをやっていて、ついうろうろと見て回っていたら時間が過ぎちゃって、これ以上いると次の活動に差し支えるので、後ろ髪を引かれながら大分駅をあとにして、駅前のアーケードへと入っていきます。

 そしたらなんと、アーケードの中に、牛がいた。子牛ちゃんです。

 アナタ、どうしてこんなところに。クリスマス模様の衣装を身につけていたので、県内のどこかの牧場からクリスマスイベントのキャンペーンにでも出張ってきたのかな。子牛ちゃんもたいへんだなあ。でもとてもかわいかったです(^^)。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818151419.jpg アーケード街に子牛ちゃん。

 大分市内も雨です。しかも本降り。傘なしではとても歩けないほど。残念。

 アーケードのはずれにあるホテルにチェックインし、荷物を置いてまたすぐに出動。傘を買おうかと思ったけど、ホテルで貸してくれたので大助かり。

 次の目的地へ向かうには少々早いので、徒歩で行ける範囲で大分市内を散策することに。まず向かったのは、まあ普通の観光客ならば府内城へ行くところでしょうが、我々は府内城を横目に見ながらこちらへと……

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818151424.jpg 誰かがお説教中。

 大分城址公園(府内城)の南側、昭和通り国道197号線)から南へ延びる大分県庁と県庁舎別館との間を走る通りの北端には遊歩公園があり、県庁舎別館の北側もその一部として小さな公園になっています。その公園の角に誰かが立って、なにやら説教をしている模様。近づいてみましょう。

 おお!アナタは!

 どこかで見かけたことのある面影とは思いましたが、直接会ったことはありませんが、アナタでしたか、フランシスコ・ザビエルさん!

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818151438.jpg アナタでしたか……

 イエズス会創立者の一人、フランシスコ・ザビエルが日本へやってきたのは1549年のこと。「以後良く伝わるキリスト教」でこの年を覚えた方も多いはず。薩摩半島の坊津に上陸したあと、1549年8月15日に現在の鹿児島市祇園之洲町に来着したのがザビエルの最初の日本訪問です。

 ザビエルは、豊後府内(大分市)にポルトガル船が来着したとの話を聞きつけ、1551年9月に豊後へ赴き、守護大名大友宗麟に迎えられて宣教を行ったそうです。ザビエルの大分滞在は短いものでしたが、それをきっかけに宣教師がしばしば訪れるようになり、大分には早くから西洋の文化や科学技術がもたらされるようになったのだとか。大分は西洋音楽、西洋外科手術発祥の地でもあるんですね。

 ここに立つ聖フランシスコ・ザビエルの像は、彫刻家佐藤忠良による1969年の作品。ザビエルは左手に十字架を持ち、右手を掲げています。背後は、世界地図のレリーフにザビエルのヨーロッパから日本にいたる航路を描き込んだモニュメントになっています。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818151433.jpg ▲大分でアナタに会えるとは思っていなかったよ、ザビエルさん。