毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

6年ぶりのねぶた帰省(その6;八甲田丸)

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819004853.jpg ▲メモリアルシップ「八甲田丸」。現役時代によく乗ったものです。

 前日は羽田空港で友人と合流したあと、羽田発19:40の最終便JAL1211便で青森へ帰りました。

 明けて8月4日、青森はねぶた祭りの3日目、中日です。

 東京で働いていたときは、毎年この時期に職場の同僚を誘って青森ねぶた祭り参戦ツアーを組み、いちばん多いときは10人ぐらいで行ったこともあり、それが5年ぐらい続いたでしょうか。しかし、2006年に海外勤務になってからはそれもできなくなり、この時期にはなかなか休みがとれなかったこともあり、最近はねぶた祭りにはすっかりごぶさたしてました。

 そんなわけで、今年はたまたま実家の用事でこの時期に帰国でき、なんと6年ぶりのねぶた祭りです。うれしいなあ。

 羽田から一緒にやってきた友人はねぶた祭りの時期に青森に来るのは初めてということで、まずは青森県観光物産館「アスパム」の最上階展望フロアへご案内。この日は天気がよく、青空が広がる夏らしいお天気。青森港、青森ベイブリッジ、そしてメモリアルシップ「八甲田丸」がよく見えます。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819004848.jpg アスパム最上階から展望。

 ねぶた祭り期間中だけに、アスパム1階のおみやげ店や物産販売場は県内外からの観光客で大混雑。まだ午前中なのにすごい活気です。

 アスパムから続く岸壁を青森ベイブリッジに沿って歩いていくと、そのまま「八甲田丸」まで行くことができます。八甲田丸とは反対側に新しくできた中央埠頭のほうには巨大客船「ぱしふぃっくびいなす」が停泊中。でかい!けっこう遠くから眺めているだけなのに巨大なのがよくわかります。1998年4月就航、総重量26,594トン、全長183.4m、幅25.0m、甲板数はなんと12層もあり、旅客定員644名に乗組員220名、ため息がでるほどの大きさです。出港地はたぶん神戸か大阪で、「竿燈・ねぶた東北二大祭りクルーズ」というツアーで来ていたようですが、こんな巨大船での船旅ってどんななんでしょうね?

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819004905.jpg ぱしふぃっくびいなす。

 一方の「八甲田丸」、今年になって存続の問題が浮かび上がっています。メモリアルシップとして展示が始まったのが1990年、既に21年が経ち、老朽化が著しく、船体改修の必要性が高まっていますが、それには多額の経費が見込まれ、廃船を含め今後の八甲田丸の在り方が問われています。

 有料部分の入館者は2004年度以降3万人を割っていましたが、東北新幹線全線開業効果や、「A-FACTORY」、「ねぶたの家ワ・ラッセ」が新しくできたこととの相乗効果もあり、10年度は約3万8千人、11年度は9月末までで4万人を超え前年同期比2倍となっているとのことで、現時点で金がないからと言って一気に廃船という方向にはなってほしくないなと思います。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819004859.jpg 展示されて早や21年。

 「アスパム」を取り囲む広場は「ラッセランド」と呼ばれ、ねぶた小屋が並んでいます。毎年5月になるとここに小屋が組まれ、この小屋の中で各団体のねぶた山車が製作されます。8月2日からの祭り期間中はここから出陣し、終わればここへ戻ってきて、昼間はまた夜の出陣へ向けての整備が行われます。

 僕が行ったのが午前のまだ早い時間だったので、前夜の名残かまだお休み中の山車が多く、小屋のテント幕が閉ざされているのも多かったのですが、いくつかは幕を開け放って公開中。昼間に見る山車と、夜の運行時に見る山車とではまったく印象が違います。卓球の福原愛さんが在籍したことで知られる青森山田学園の山車を一枚、カメラに収めました。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819004843.jpgラッセランドの小屋で休息中の青森山田学園のねぶた。北村隆作「毘沙門天文殊菩薩」。