中国を走る現役SLを訪ねる旅(その17;上游1395号機の運転台)
▲カマの火室へつながる焚き口部分。
2011年6月12日、運転台へ上がる。
阜新海州炭鉱の石炭積み出し場に戻ってきた蒸気機関車「上游1395号機」は、ブルドーザーによる無蓋貨車への石炭積み込みが終わるまで休憩タイムになりました。運転士も運転台から下りて、近くの小屋に入って休憩です。
運転台に上がってみたいと言ってみたら、気軽に「いいよ」との返事。やった!
というわけで、初めての蒸気機関車運転台乗務体験です。うわっ、カマが焚かれているので、中は暑い!まさに蒸気機関車が生きているという感じがします。
焚き口戸部分。
運転台の中央に鎮座ましますのは火室の焚き口です。下部に石炭をくべる焚き口戸があり、上部には圧力計やらパイプやらハンドルやらがこまごまと付いていて、複雑な様相を呈しています。蒸気機関車の心臓部です。
ボイラー室上部。
機関士が座って舵を取る「運転台」はいたってシンプル。腰掛けの正面にマスコン関係のレバー類が並び、右側の手の届く位置に各種メーターやバルブが配置されています。窓の桟には蓋付きのステンレス製マグカップが置かれたままで、窓は普通の住宅の窓を同じような引き戸の窓。内壁が黄色に塗られているのはご愛敬かしら?(笑)
▲運転席部分です。意外とシンプル。
振り向けばうしろには炭水車がつながっていて、燃料の石炭が積まれているのが見えます。機関助士がここから石炭をシャベルですくって焚き口から火室へとくべるのです。走行中は今よりもはるかに暑いんだろうな。いかに重労働かがわかるような気がします。
石炭が積まれた炭水車。
カマの外側に製造時の銘板がついているので見てみましょう。「中華人民共和国鉄道部唐山機車車両工廠1985年9月製」という文字が見えます。実はこの上游1395号機が製造されたのは1985年、わずか26年前のことなんです。蒸気機関車というと、満州国時代に大陸で活躍していたとか、戦後の混乱期と復興期に日本国内で活躍していたとか、そんなイメージがありますが、中国ではなんのなんの、ほんの最近まで新車が製造されてどんどん投入されていたのですね。
1985年9月製造の銘板。
僕も運転席の位置に立って前方を見てみました。外から見るよりはるかにカマの長さが実感されます。そのせいで右側はほとんど視界がききません。正面のガラス窓も曇っているのでなおさら前がよく見えません。やはり窓から顔を出して前方を見るのがいちばんよく見えそうです。
それにしても、内壁のこの黄色、運転するとき気にならないのかな……(^_^ゝ
▲運転席から前方を見て機関士気分。でも視界は非常に悪い。よく運転できるものだ。