中国を走る現役SLを訪ねる旅(その9;「解放」型886号機)
▲北票煤業鉄路運輸部の車庫でひっそりと眠る日本製の蒸気機関車「ミカイ型」の「解放886号機」。
2011年6月11日、日本で生まれた蒸気機関車。
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「解放」型蒸気機関車の大本は、元満鉄の2120号機までのミカイ型とミカロ型。このうちミカイ型は、満鉄奉天以南の石炭輸送を主たる目的に、貨物列車用機関車として、満鉄沙河口工場、大連工場、日本車輌、汽車製造、日立、川崎、大連機械、満洲車輌で1,000輌以上製造された機関車だそうです。
元ミカイの「解放1」型。
「上游」型とはやっぱり違う?
動いてるの見てみたい。
中華人民共和国成立後、1952年7月に四方鉄道工場で中国が最初に製造したのもこのタイプで、これを機に、形式名が「ミカイ」から「解放」へ変えられました。「解放」型はミカイが主体ではあるものの、同じ軸配置の機関車もあり、ミカイは特に「解放1(JF1)」型と呼ばれています。
ミカイの諸元は、機関車空車重量94.10t、炭水車空車重量29.00t、水タンク容量30.0立方m、燃料搭載量14.0t、動輪直径1,370mm、全長23.75m、うち機関車長13.569m、炭水車長10.181mといったところでしょうか。
真横から。
運転台部分。
後方は炭水車。
「解放886」の銘板。
そして、この車庫でひっそりと眠るように余生を送っているのが、ミカイ型から解放1型へと変遷してきた886号機です。
もうだいぶ埃をかぶっていて、現役を退いたのはかなり前のことのようです。24m近い全長の蒸気機関車が、真っ白いスチームと黒煙を吐き出しながら、中国東北地方の大平野を疾駆する姿は、どれほどに勇壮だったことでしょう。この886号機が日本の手によって製造されて以降、どこをどれぐらい走り、その終焉の地としてどうやってここ北票へやってきたのか、彼の人生については僕には知る術はありません。今となっては、こうしてこの姿を目前にして、元気に活躍していた頃の姿を想像するしかありません。
「解放1」型は中国国内でも、世界全体でも、残されている数は非常に少ないそうです。お色直しをしてどこかの鉄道博物館に持って行くのがよいか、ここ北票でひっそりと余生を送るのがよいか、しかしいずれにしても、このまま解体されることなく、いわば歴史の証人として生き長らえてほしいなと思うばかりです。
▲天窓から差し込む日の光に鈍く光る「解放886」の車体。