毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

春の帰省の旅日記(その21;私たちはいつもそばにいます)

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819000418.jpg ▲この「頑張ろう日本」ボードも見納めかな……

 2011年5月2日、JALからの手書きメッセージ。

 この日は今回の帰省の最終日。青森空港から羽田空港へ飛んで、その日のうちに羽田空港で北京行きに乗り継ぐ予定です。

 この日の青森地方は朝から雨。早起きしてゴミ出しをして、戸締まりして自宅を出て、用事を済ませて、青森空港へ向かいました。今回の2週間の帰省で4度目のフライトは09:30発の羽田行きJAL1202便です。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819000423.jpg 雨の展望デッキから。

 今回帰省した2週間の間に4回飛行機に乗りましたが、このうち3回が青森~羽田便で、その3回の機材はすべてA300-600Rでした。

 3回目のこの日の1202便もA300-600R。2月いっぱいで青森~羽田線から引退し、本来ならもう2度と乗ることはなかったであろうA300-600Rに今回こんなにも集中して乗ることができて、震災が起きたからだとは言え、なにかこう、ありがたいと言うかうれしいと言うか。

 そしてこの日の1202便はまたもJA-016Dが充てられていて、コクピットの窓には、僕にとってはもうすっかりおなじみになった「頑張ろう東北」のボードがこの日もしっかり掲げられていました……と思ったら、あれれ?「頑張ろう東北」じゃなくて、「頑張ろう日本」になってる!。なんと「頑張ろう日本」バージョンもあったんですね!

 震災からもうすぐ2ヶ月半、僕が次に青森に戻ってくるのはたぶん6月後半だと思うので、このボードも見納めだなと思い、しっかり目に焼き付けます。もちろん、このボードが取り外されたとしても、震災からの復興を願う気持ちは忘れてはいけません。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819000413.jpg GWは雨に祟られた青森だなあ。

 ところで、展望デッキに上がるに先立って、ターミナルビル1階のカウンターでチェックインしたときに気がついたのですが、カウンター内側の壁に、JALから被災地へ向けた寄せ書きのメッセージが掲示してありました。4月30日にここへ来た時は気づかなかったので、5月になってから貼りだしたものかもしれません。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819000436.jpg JALスタッフの寄せ書き発見。

 大きな白い紙の真ん中に「私たちはいつもそばにいます」というメッセージが印刷され、その周りに、青森空港に勤めるJALのスタッフや、もしかしたら青森便に搭乗したクルーも含まれているでしょうか、色とりどりのマジックペンで手書きされたメッセージがびっしりと書き連ねられています。どれも温かい心のこもったメッセージで、僕は特に何か被災したわけではないけれど、被災地となった青森県の人間として、その手書きのメッセージの一つ一つに目を走らせていると、うれしくてこみ上げてくるものがありました。こんな温かい気持ちで青森を離れることができて、今回の帰省はよかったな、なんて思いました。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819000430.jpg青森県にもしっかり届いたと思いますよ、この手書きのメッセージ!