毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

春の帰省の旅日記(その19;終点上野)

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819000333.jpg ▲終点上野16番線に到着した急行「能登」。トレインマークの回転が早すぎて……

 2011年5月1日、終点上野。

 長岡で進行方向が変わり、列車番号も8602Mから8612Mに変わった急行「能登」は、大宮到着前におはよう放送が入り、車内は目覚めモードになりました。

 僕は大宮で東北新幹線に乗り換えて青森へ向かう予定でしたが、新幹線までけっこう時間があるので、久しぶりに乗った「能登」で終点上野まで行くことにしました。

 終点上野には定刻06:19に到着です。到着番線は16番線。日曜日の早朝、まだひっそりとした上野駅に「能登」は静かに到着し、ドアを開きました。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819000314.jpg 妙にいかつい字体だな。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819000320.jpg 2号車はモハ484-1057。

 以前、まだボンネット電車だった頃に「能登」に乗って上野で降り、さて行き先表示幕でも写真に撮りましょうかとふと見たら、行き先表示膜はすでにくるくると回転して真っ白になっていて、「急行能登」の文字を写真に残そうと思っていたのにがっかりしたことがありました。

 この日は降りてすぐに振り向いたらまだ幕は回転しておらず、妙にいかつい字体で書かれた「急行能登」「上野」という表示をカメラに収めることができました。

 そのかわり、先頭車両の前へ行ったときには、トレインマークはすでに回転しはじめていました。懐かしいものも含めていろいろなトレインマークを見ることができたのはラッキーだったけれど、肝心の「能登」のトレインマークはカメラに収められず、前夜富山駅到着時に撮った1枚が残っただけとなりました。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819000325.jpg 結局「回送」表示に。

 さて、東北新幹線の指定券は大宮からになっているので、大宮まで普通列車で戻らなければなりません。6番線へ移動し、06:27発の829M高崎行きに乗ります。車内は空いていましたが、赤羽からはかなりの乗車があり、さいたま新都心から乗り込む人が多く、06:53に到着したときの大宮駅構内はもうかなりの混雑が始まっていました。なんかいつも思うんですけど、首都圏の人たちって朝が早いですよね。

 大宮駅で829Mを降りた僕は新幹線乗換口へと向かいます。4月29日に全線で運行を再開してまだ3日目の「はやて」で新青森をめざします。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819000329.jpg ▲上野から高崎行き829Mに乗って大宮へ引き返します。