毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

青森を拠点にのんびり秋休み(その46;青ガマに牽かれて)

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818234457.jpg ▲終点上野駅13番線に到着した寝台特急「あけぼの」。

 2010年10月13日、終点上野。

 秋田に到着する頃に酒がなくなったので、寝支度を整えて寝台に潜り込むことに。秋田までに我が2号車にも下段がだいたい埋まるだけの乗車があり、向かいの寝台にも弘前から乗車がありました。

 「あけぼの」は、ヒル区間終点の羽後本荘を過ぎても秋田県内と山形県内で深夜帯にしてはこまめに停車していきますが、新津発01:24を最後にしばらく客扱いがなくなり、次の停車駅は夜が明け初める頃の高崎です。高崎は05:12着、05:18発です。僕はもちろんまだ夢の中。06:31の大宮到着前におはよう放送が入って、ここで起き出します。

 身支度を調えている間に「あけぼの」は荒川の鉄橋を渡って東京都内に入り、赤羽、王子と住み慣れた土地の朝の風景を眺めているうちにスピードが落ち、定刻の06:58、終点上野駅13番線に到着です。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818234452.jpg 荒川鉄橋渡る頃。

 前夜青森を出発したときはEF81-137に牽かれていましたが、上野で降りて先頭を見ると、牽引機はEF64-1051に変わっていました。誰もが寝静まった長岡駅で機関車の付け替えた行われたのですね。

 青森出身で東京暮らしのときも基本的には上野口にしか用のない僕にとって、青釜直流電気機関車にはこれまで一貫してなじみがなく、東北へ向かう客車列車もかつては黒磯や新津までは青釜が牽いていたことがあったにしても、夜が明けて北東北に入っている頃にはことごとく赤釜になっているものですから、違和感というのとは違うけれど、青釜が牽いているとなんだか乗り違えたような錯覚に陥ることがあります。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818234502.jpg EF64-1051に牽かれました。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818234511.jpg 青釜と「あけぼの」。

 5号車あたりから向こうで降りた人はエスカレーターで橋上の乗換えコンコースへ上ってしまうためか、13番線からつづく中央改札口へ歩いてくる人は多くなく、「あけぼの」のドアが開いて多少の後者客の動きが止むと13番線にはすぐにまた閑散とした雰囲気が戻ってきます。この日はEF64をカメラに収めようとするファンもちらほら程度です。

 EF64-1051には「長岡」と書かれたプレートがばっちり差し込んであります。長岡所属のEF64が定期旅客列車を牽くのはいまや「あけぼの」だけですか。

 「あけぼの」はこれからEF64の推進運転で尾久の車両センターに引き上げます。21:15の下り出発まで整備と休憩です。客車列車の推進運転が見られるのも上野駅だけになってしまったでしょうか。全国で他に推進運転が見られる駅は残っていますか?いろんな意味で稀少になった客車列車がまだわりと多く出入りする上野駅がやっぱり僕は好きですね。東北新幹線全線開業で「あけぼの」の前途は安泰とは言えませんが、これからもできる限り乗ってあげたいと思います。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818234506.jpg 「長岡」プレートです。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818234517.jpg上野駅地上ホームは行き止まり。これから推進運転で引き上げます。