毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

青森を拠点にのんびり秋休み(その37;立待岬)

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818234055.jpg立待岬の西方は函館山の裏手に当たり、険しい岩場が続く。

 2010年10月11日、快晴の津軽海峡

 函館駅前から市電に乗って終点谷地頭まで行きました。

 谷地頭まで来た観光客が行く先は大きく分けて二つ。立待岬谷地頭温泉でしょう。谷地頭温泉には僕もまだ行ったことがないので行ってみたいところですが、この日は天気があまりによいので立待岬へ海を見に行くことにします。

 谷地頭電停からそのまままっすぐ歩き、谷地頭温泉とは逆の左に折れて道なりに行くと市営墓地を突き抜けていく道になり、その先が立待岬です。この市営墓地には、明治40年5月から9月まで4ヶ月間函館に滞在した石川啄木の墓があります。石川啄木は明治45年に27歳という若さで亡くなりますが、「死ぬときは函館で」という啄木が言い残したことから、啄木は今も函館に眠っています。

 その市営墓地を抜けると、真っ青な海が見えてきました。立待岬に到着です。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818234048.jpg 立待岬の石碑とともに。

 「立待岬」の「立待」とは、アイヌ語の「ピウシ」の訳で、「岩上で魚を待ち漁具のヤスで獲る場所」という意味なのだそうです。僕など「立待」と言えば「立待月(十七夜の月)」を思い出してしまいますが、立待岬から立待月を眺めるというのもロマンチックな感じがしてよさそうではありませんか?

 そんな浪漫なイメージとは裏腹に、立待岬からの風景はなかなか険しいものがあります。立待岬函館山の南東端に突き出た位置関係になっていて、立待岬から西方向には、函館市内から見るのとは逆の、いわば函館山の裏側が見えることになりますが、函館山の裏側は岩が剥き出しになった急峻な崖になっていて、函館山の荒々しい側面を見せています。

 しかし、岬の正面、南側に広がる青い海は、絶好の天気にその陽光をきらきらと水面ではじき、爽快さはバツグンです。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818234059.jpg 立待岬から南側の眺め。

 この海は、津軽海峡です。天気がよかれば海峡の向こう、下北半島も望めるとのことですが、今日はばっちり見えています!津軽海峡はいちばん狭いところで函館市の旧戸井町地区にある汐首岬と下北半島大間崎との間の17.5kmそうで、立待岬からだとそれよりは少し距離は遠いと思いますが、それでも本当にすぐ近くに見えます。地図を見てみると立待岬から見える下北半島は大間崎から南へのびるまさかりの刃に当たる部分のようです。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818234104.jpg 下北半島が間近に見えた。

 波が押し寄せる岩場を眺めながら、遊歩道に沿って周辺をぐるりと一回り歩きます。すばらしい陽気に汗ばむほどです。

 帰りしなに北側を眺めると、立待岬のほうから市営墓地へはゆるやかな下り坂になっているので、北側の眺めもまたスバラシイ。いつもは天気に恵まれず、すぐそばまで行ってもなかなか拝めずにいた大沼公園駒ヶ岳がひょっこりと顔を出しているではありませんか!へえ、駒ヶ岳って函館からも見えるんだ!思わず足を止めて眺めてしまいました。函館、本当によい天気です。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818234108.jpg函館市街地の向こうにひょっこり顔を出していた駒ヶ岳