毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

青森を拠点にのんびり秋休み(その26;碇ヶ関御関所)

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818233511.jpg碇ヶ関の関所の門を再現したもの。黒塗りが重々しい。

 2010年10月9日、駅からすぐなのに「道の駅」。

 細かいことは何も決めずに碇ヶ関まで来てしまった僕は、駅で時刻表としばしにらめっこ。あと40分ぐらいするとやってくる11:38発の普通列車1646Mで森岳まで行き(森岳着13:00)、森岳発13:23の2043M特急「かもしか3号」に乗るか、碇ヶ関13:06発の1654Mで大館まで行って「かもしか3号」で折り返しでもいいかな、そうすればまた「かもしか」が楽しめるな、と考えました。

 それではそれまでどこで時間を過ごすか。今度は駅にあった周辺地図を眺めたところ、近くに「道の駅」があるようです。

 駅前の道を歩き始めるとすぐに国道7号線羽州街道に出て、左に折れるとこれまたすぐに広い敷地が見え、そこが「道の駅いかりがせき津軽関の庄」でした。これは近い。歩いて行ってみよう。

 敷地に入ってまず目に付くのは大きな黒塗りの門。「碇ヶ関御関所」という毛筆の看板がかかってます。その傍らには背の高いまっすぐの大きな木。1586年(天正14年)から1871年明治4年)まで存在した関所の当時の姿を再現したものだそうです。秋田比内の浅利氏を攻め、帰陣する時に関所を設けたと言われています。江戸幕府は地方の諸大名が「関所」を置くことを禁じていましたが、各藩も諸般の事情で関所機能を必要としていたことから、「関所」という名称を用いず、「番所」の体裁で実質的な関所を設けており、碇ヶ関秋田藩に対する弘前藩の「口留番所」で、専売品の密輸防止や運上逃れの防止、米などの穀物や金銀銅などを藩内に留めて必要な物資の確保のために置かれたものだそうです。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818233517.jpg 大きな木が印象的。

 「道の駅」のほうは「いかりがせき津軽関の庄」と称し、「庄屋屋敷および日本の古い家」風にデザインを統一した施設。関所跡とは別に、「津軽関の庄」という毛筆の看板がかかった黒塗りの門があり、その内側に各施設が点在しています。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818233523.jpg 「道の駅」にも門がある。

 手前のほうには土産品店、地元物産特売所、レストランなどが入った施設が並び、その奥には、碇ヶ関関所資料館があります。関所役人が詰めて、関所を通ろうとする人々の関所改めの事務を行った「面番所」を復元した建物で、等身大の人形で上番所や下番所、江戸参勤の当時の姿が再現され、通行許可証や通行手形、刀剣なども展示されています。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818233529.jpg 碇ヶ関関所資料館。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818233534.jpg ▲平家建ての「面番所」を復元した建物では当時の関所事務の様子が再現されています。