毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

最後まで縁がなかった急行「銀河」

イメージ 1 ▲平日の早朝、東京駅9番線に静かに到着した急行「銀河」。ホームは閑散。

 僕は青森生まれの青森育ちなので、夜行列車や寝台列車には小さい頃からとてもなじみがあります。青森駅に行けば朝な夕なにブルトレがずらりと並んでいましたし、線路沿いにある小学校の校庭からは青森駅と操車場に出入りする夜行列車や、奥羽本線を走っていく夜行列車を毎日眺めることができました。親に連れられての旅行や、中学生になってから以降の一人旅では夜行列車、寝台列車にもよく乗りました。「ゆうづる」「はくつる」「あけぼの」「津軽」「十和田」「八甲田」「狩勝」「きたぐに」「日本海」、どれも忘れ得ぬ思い出が詰まった列車たちです。

 しかし、西日本を走る夜行列車にはとんと縁がなく、東京の大学へ通うようになってからようやく大垣夜行や「能登」に乗るようになり、東京に就職して以降は、少しずつ廃止されていく中を、けっこう長い時間をかけて西行きの夜行列車に乗りました。「あさかぜ」「さくら」「富士」「はやぶさ」「彗星」「あかつき」「なは」「出雲」「北陸」「ムーンライト松山」「ドリームにちりん」………

 ところが、ごく最近まで走っていて乗れそうでいながらとうとう最後まで乗れなかった列車があります。それは急行「銀河」。

 学生時代にはけっこう関西へ行くことも多かったのに、どうして乗らなかったんだろうなあ…… 乗車時間が短いのに寝台料金を払わなければならないのがもったいなかったのかな。大垣夜行のほうが手軽だったものね。けっこう使えるダイヤだったから、僕もビジネス用務があれば使っていたかもしれない。

 あれこれ言ってみてもあとのまつり。今どんなに乗りたくても、急行「銀河」は走ってはいません。

 掲載した写真は、豊橋へ用事があって朝早く東京駅へ行ったら、たまたま偶然上り急行「銀河」が到着するのに出くわしたときの写真です。2004年12月17日のことです。この日は平日の朝で、「銀河」から降り立った人はぱらりぱらりと数えるばかりでした。このときはまだ乗れると思っていたけれど、その4年後、2008年3月15日に急行「銀河」は姿を消してしまいました。

 「誰も夜行列車になんか乗らなくなったんだよ。」 そうかもしれません。新幹線と夜行バスの台頭、航空便の充実で、夜行列車が活躍する余地が狭まったのは確か。でもニーズが完全になくなったわけではないはず。それを汲み取らない日本の鉄道は何か大きなものを失ってしまったんじゃないでしょうか。

イメージ 2 ▲東京駅に到着した「銀河」はすぐに行き先方向幕を回して下りに備えます。