高句麗のふるさと五女山を訪ねて(その4;五女山へ)
▲五女山山城、世界遺産です。
2010年8月1日、五女山頂へ。
というわけで一夜が明け、前日の大雨とは打って変わって青空が広がった8月1日日曜日、いよいよ世界遺産五女山へ向かいます。
五女山は桓仁県の中心部から北東へ約8kmほど行ったところにあります。標高は821mでそれほど高い山ではありませんが、周辺にそれより高い山があまりないことや、いずれご紹介しますが五女山はとても特徴的な形をしているので、遠くからでもすぐわかります。
五女山の南側に五女山博物館があり、五女山観光はここから始まります。広大な駐車場と広場があり、自家用車で来ても観光バスで来ても、とにかくここで降り、まずは五女山博物館を参観します。
朱蒙
紀元前37年、北扶餘(東扶餘とするものもある)の王子朱蒙が五女山の山上に高句麗の第一王城を築きます。高句麗の建国です。「紇升骨城」とも呼ばれます。第2代の瑠璃明王が西暦3年に丸都城(今の吉林省集安市)へ遷都するまで、高句麗はこの山城でその基礎を築いていたと言えましょう。
朱蒙
紀元前37年、北扶餘(東扶餘とするものもある)の王子朱蒙が五女山の山上に高句麗の第一王城を築きます。高句麗の建国です。「紇升骨城」とも呼ばれます。第2代の瑠璃明王が西暦3年に丸都城(今の吉林省集安市)へ遷都するまで、高句麗はこの山城でその基礎を築いていたと言えましょう。
この広場からスタート。
逆光ですが博物館。
博物館では、五女山の建国の歴史、長く五女山の版図であったこのあたりから出土した道具や宝物などの展示、山城建造の様子を再現した映像等、それなりにどれも興味深く、ガイドさんもついてくれるので、うっかりするとここだけで半日ぐらい費やしてしまいそうです。
それにしてもちょっと意外だったのは、こんな交通の不便な田舎のそのまた田舎みたいな桓仁県なんて誰も観光になんか来ないだろうと思っていたのに、日曜日だったこともあってか、博物館には続々と団体さまが入ってきて、けっこうな混雑でした。これも世界遺産効果ということでしょうか。ちなみに入場料は五女山登山とセットになって大人一人80元です。
博物館入り口。
博物館の山間が終わったら、大型バスに乗って五女山の登山口へ向かいます。環境保護の観点から自家用車等での入山は禁じられており、大型バスに相乗りして西口登山口へ行きます。登山口まで10分ほどでしょうか。バスは頻繁に往復しています。もちろん、特別に許可された自家用車もけっこう入ってきているのはいかにも中国的。特別に許可と言ったってどうせ何かのコネに決まってるんですから。
西口のゲートを中に入ると、いきなり森の中。中国の北方でこれだけ樹木が茂っているところは少ないので、新鮮かつ貴重です。でもって、いきなり一直線の石段がはるか頂上まで続いています。その数約一千段。見上げるとくらくらします。しかし上らねばなりません。上ります。
下から一直線の一千段。
何十段か上ると、一直線の階段から分かれて迂回路があります。一直線の階段を何回も横切りながらジグザグに上っていく傾斜の緩やかな道です。日頃の運動不足がたたってわずか数十段で息が上がった僕は迂回路に入ろうかなとも思いましたが、ここで負けては男が廃るので、とにかく一直線の石段を上り続けます。ふとももに乳酸がたまり、ぷるぷるしてきますが、がんばります。
両側に岩壁迫る。
数百段も上ってもはや行き倒れ寸前というところまでくると、両脇には岩壁がそそり立ち、迂回路もなくなって石段も狭くなり、最後の心臓破りです。
しかし、樹木の緑はますます深く、木漏れ日は心地よく、まさに森林浴です。もう両脚ががくがくきてるので、休み休み上ります。汗びっしょりですが、爽快。帰りはこの階段を下りていかねばならないかと思うと一瞬憂鬱になったりもしますが(下りのほうがしんどいと言うし)、それはまあまだ先のこと、まずは頂上目指してラストスパートしましょう。北京の排ガスたっぷりの空気から解放されて、この清浄で新鮮な空気を胸一杯に吸い込みながら、あともう少しです(だから両脚はもうがくがくなのだが)。
▲五女山頂までラストスパートして振り返ればこの急な石段。