毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

帰省ついでの初「江差線」完乗(その8;江差駅で発車を待つ)

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818231201.jpg江差駅で発車を待つ125D。

 2009年12月22日、いよいよ江差線に初乗車。

 さて、いよいよ江差線初乗車です。ホームにはJR北海道色のキハ40の2両編成が停まっています。2両編成の木古内方はキハ40-810です。函館を10:12に発車した普通列車122Dが江差に到着するのが12:34。その折り返しが江差13:13発の函館行き普通列車125Dになるのです。

 江差線を走る列車は1日わずか6往復。このうち4往復が函館との直通で、残り2往復は木古内止まり。なかなか完乗しにくい路線です。つい木古内江差間を折り返し列車ですぐに往復して片付けてしまいがちですが、それではつまらないし、江差線には乗ったが江差の町は見ていないというのでは、ものたりなさすぎます。

 僕は今回、松前も含めてぐるりと一回りするようなルートを計画しましたが、バスのダイヤと江差線のダイヤがあまりにも噛み合っていなくて断念せざるを得ず、与えられた時間内になんとかあてはめることができたのが、今回の八雲から江差へ入るというルートでした。江差の町にいられたのは2時間ほどで、十分とは言えませんが、まあ単純折り返しよりは旅らしくなったのではないでしょうか。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818231205.jpg 木古内へとのびる線路。

 江差駅は終着駅ですから、そこから先へはもう鉄路はありません。ホームの停車位置から先は、雪が積もってレールはその中に埋もれ、まったく見えなくなっています。車止めだけが黒々と姿を見せています。

 江差線は歴史的にもここから先への延伸計画が立てられたことはないので、最初から、ここが終点です。松前藩の頃から栄えた商都江差には今も廻船問屋址や寺社など歴史的町並みが残り、観光客も多く訪れる町ですが、このどん詰まりの駅を見る限り、なかなかそんな印象を抱くのは困難です(冬だからでしょうか)。車止めの向こうには、まだ新しいアパート群が建っています。陣屋団地です。新しい建物が立ちふさがるように並ぶのを列車越しに見ると、2015年北海道新幹線開業後の行く末に行き詰まり感を隠せない江差線の姿が浮かんでくるようです。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818231216.jpg 向こうは陣屋団地。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818231213.jpg江差線のどん詰まり。鉄路は雪に覆われ、黒々とした車止めが行く手を遮る。