毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

ラズク戦役

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818210316.jpg陸の孤島とも言える迭部県阿夏郷へ至る道はあまりに険しい。

 2010年5月12日、毛沢東長征軍の通った址。

 甘粛省の旅が続きます。

 甘南チベット族自治州四川省と境を接する迭部(テウォ)県の中心部(県庁所在地)から更に奥に入った、まさに陸の孤島と呼んで差し支えないような小さな村・阿夏郷に立ち寄ったあと、この日は再び省都蘭州へ戻ります。

 阿夏郷へ行く道は、深く谷が切れ込んだ急峻な崖の壁を削るようにしてとりあえず作ったという感じの未舗装道路。もちろんガードレールなどないので、誤って道から逸れたらあっさり崖下に落ちてしまいます。道がくねくねと曲がりくねり、上下のアップダウンもあるので、簡単にハンドルをとられるのではないかと思うと、助手席に乗っている僕はなかなかコワイです。

 こんな道を、ランクルのパワーでかなりのスピードでとばしながら30分ほど走らないと、舗装された道路には出られないし、次の集落へはその道路をさらに走らねばなりません。阿夏郷の人たちは、普段いったいどうやって暮らしているのでしょうか。こんながれきの道を隣村まで行くのだけでもたいへんです。たくましいというか、たいへんというか、なんかスゴイ。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818210303.jpg 隣村までもはるか遠い。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818210307.jpg まさに陸の孤島

 蘭州までは400kmぐらいあるでしょうか。来るときは途中合作市や夏河県を経由しましたが、この日の戻りは直接蘭州を目指せばよいので、来たときとは道がまったく違います。四川省を経由する必要もありません。そのうち半分ぐらいは山道なので、全部で6、7時間は走らねばならないはず。阿夏郷からの悪路を抜けてしばらく走り、昼時にラズクという場所でランチとなりました。ラズクは漢字では「臘子口」と書きます。そこの「臘子賓館」でランチです。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818210322.jpg ラズクの「臘子賓館」。

 ラズクは中国近代史ではちょっと重要な場所です。蒋介石から逃れての毛沢東率いる紅軍12,500kmの逃避行、いわゆる「長征」の途中に毛沢東はこのあたりを通ります。1935年9月、四川省の大湿地帯をようやく脱けて出てみると、今度は断崖絶壁にはさまれた天険の隘路。それがここラズクでした。長征軍は待ち伏せしていた国民党軍を、毛沢東の指揮のもとに激戦のすえ撃破し、次の目的地である六盤山へと向かいました。これが「ラズク戦役」です。毛沢東故居や革命聖地を訪ねる「紅色旅游」には欠かせない場所なのだとか。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818210328.jpg まさに天険の隘路。

 昼食を済ませて、再び険しい山道を抜けていきます。谷はますます深くなってきましたが、目に入る緑も増えてきました。斜面がゆるやかな場所もところどころに広がっていて、そこここで羊を放牧しているのが再び目に入るようになってきました。往路でも通り過ぎた高原地帯に再び戻ってきたのでしょう。しかしこんな高低差の激しいところであんな斜面の草地に羊を連れて行くなんて、どこからどうやって行ってるんでしょうね。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818210333.jpg また高原地帯に入ってきた。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818210341.jpg はるか下には羊の群れ。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818210346.jpg どこから行くんだろう。

 まだしばらくこの山をいくつか越えていかなければ大きな町にも出ず、蘭州へ通じる高速道路にも乗ることはできません。ランクルに付いている高度計によれば、今回の旅ではこのあたりの標高がいちばん高く、3,100m前後を示していました。

 よく見ると、斜面には斜めに刻みつけられたような細い道がいくつも走っているのが見えます。これがこのあたりの農民や牧民にとっての生活道路なのでしょう。毎日あの道を上っては下り、下っては上りする生活は、こうして見渡せるのどかな風景からは垣間見られないほど本当は過酷なのではないでしょうか。中国が「改革開放」に着手して30年、その恩恵はこの山奥の人々にはどれぐらい届いているのでしょう。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818210352.jpg まだ山越えは続く。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818210401.jpg ▲斜面に走る細い生活道路。手作りなのでしょうね。たいへんだなあ。