毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

宗谷岬でタコしゃぶplease!(その48;汽車辨當)

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818143307.jpg昭和15年の駅弁を復刻した松山駅の「汽車辨當」。

 2009年9月10日、朝から駅弁。

 松山では駅弁は「醤油めし」と決めていた僕がこのとき意を決して購入したのは「汽車辨當」。昭和15年に販売されていた駅弁を再現したもので、掛け紙の上には「昭和15年の御弁当。SL時代のおいしい復刻です。」と記されています。二段になったお重式に当時のデザインのものと思われる掛け紙が掛かっています。昭和15年もお重だったのかしら?値段は「金四拾錢」と記してありますが、当時の40銭ってどれぐらいの価値なんでしょう?

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818143301.jpg 二段重ねの豪華版。

 掛け紙は淡い色使いで松山城道後温泉を象徴する温泉マーク、そして渓流とそれに架かる橋が描かれています。この渓流はどこかと言えば掛け紙にしっかり「面河渓」と書かれています。面河渓(おもごけい)は石鎚国定公園の一部で、愛媛県の紅葉の名所なのだそうです。

 掛け紙の上部にはいかにもその当時に多用されていたっぽい字体で「国民精神総動員」「皇紀二千六百年」と書いてあります。「皇紀」とは神武天皇即位を以て日本の建国としその年を紀元とする数えかたですが、昭和15年はちょうど皇紀2600年にあたり、全国で様々な紀元二千六百年記念行事が行われたそうです。昭和15年と言えば、戦争に突入した日本の国民生活が徐々に悪化し、あとはただ転げ落ちるばかりという状況になりつつあった頃であり、その落ち込んだ国民を奮い立たせ景気づけをしようとしたのでしょう。この「汽車辨當」も言ってみればその記念弁当として誕生したのでしょう。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818143312.jpg なかなかのボリューム。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818143322.jpg 発車してから食べよう。

 掛け紙をほどいてふたを開ければ、二段重ねでありますからして、なかなかのボリューム。一段は全面白いごはんに梅干しが一つ。白いごはん好きの僕にはこれだけでもうれしい。おかずのほうは幕の内弁当の定番がぎっしり。焼き魚、かまぼこ、卵焼き、切り干し大根、てんぷらに高野豆腐、タケノコの煮物、煮豆などなど、あっさりとした味付けのおかずがずらりと並んで、車窓を眺めながらゆっくりとつまむには最適。戦況が厳しさを増す昭和15年にこんな豪華な駅弁があったのかしらと疑わしくもなりますが、皇紀2600年記念弁当だからどーんと張り込んだのかも。朝6時台からこんな立派な弁当を食べるのはなんだか贅沢。06:14、「しおかぜ6号・いしづち6号」、松山駅を定刻に発車です。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818143315.jpg皇紀2600年記念豪華駅弁として発売されたんでしょうなあ。