毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

2010春・新疆に行きたい心境(その17;「烽」と「燧」)

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818205458.jpg ▲クズルガハ烽火台。2000年も前から、烽火台。

 2010年3月11日、「烽」と「燧」。

 スバシ故城をあとにして、次に訪れたのはクズルガハ烽火台。クチャ県の西北約12kmに位置する漢代に建てられたのろし台です。車で近づいていくと、周囲はほかに何もない砂礫漠なので、その塔のようなのろし台がすっくと立っているのが遠くからでも見えてきます。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818205519.jpg 烽火台が見えてきた。

 車を降りて近づくと、その烽火台は、木の枝を組んで積み上げた上に土を塗り固めて造ったと思われますが、その塗り土の風化が進んで、表面の造形が定かでなくなっているばかりではなく、上の方は木枠がむき出しになっているところもあります。2000年もの間ここに立ち続けていたのですから、今も残っていることのほうが不思議です。幅約6m、高さ約14mの烽火台は今もしっかりと大地の上に立っています。

 のろし台は中国語では正確には「烽燧」といいます。「烽」とは夜に点す火のことで、昼間にあげる白煙のことを「燧」といい、合わせて「のろし」という意味になるわけです。漢の頃に建てられて、いつまで使われたのかは知りませんが、昼と夜とを問わずこの地の防衛のために兵が詰め、時には緊張が漂うこともあったのでしょうね。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818205506.jpg ▲クズルガハ烽火台近影。

 「クズルガハ」とはウイグル語で「赤いカラス」の意とも「娘さんの住むところ」の意とも言われているようです。この烽火台は切り立った崖のへりに立っていて、数十メートルはある断崖の下にもまた茫漠とした荒野が広がっています。塩水渓谷です。天山山脈の雪解け水が出る季節には水が流れることもあるものの、それ以外の季節は枯れ上がり、地表には塩分が白く浮き出ているのでこの名があるようです。もちろんこの時期は一滴の水も流れていません。足下の土も谷底の土も同じ色なので、ともすると足を踏み外しそうになりますが、落ちたら一巻の終わりです。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818205510.jpg 塩水渓谷のへりに立つ。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818205515.jpg つい足を踏み外しそう。

 この崖のへりに立って、崖の上を吹き抜けてくる、あるいは塩水渓谷の谷底から吹き上がってくる風に吹かれていると、自分も西域人になったような錯覚に陥ります。クズルガハ烽火台の数km向こうにはクズルガハ千仏洞があるそうで、烽火台からもどんやりと見渡すことができます。2000年もの前に、キジル千仏洞やクズルガハ千仏洞に暮らしていたおびただしい数の僧たちやこののろし台で兵役についていた人々は、日々どんなことを思い、この大地を往来していたのでしょう。あまりにスケールが大きすぎて、とても僕の想像には余ります。でもここにこうして立つと、やっぱりなんだかそのときの人になったかのような気持ちになってしまうんですよね。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818205523.jpg ▲ぼんやりと照らす冬の日にシルエットとなったクズルガハ烽火台。